2014年09月09日
背
背を焼く
という言葉がある。
(苦しいほど多額の借金)背を焼くような借金
という意味で,梶井基次郎が使ったらしいが,僕には,
背を焼かれるような焦燥感,
焦り,
に見える。語感の問題だから,どうでもいいが。
せ
は,
セ(高く目立つもの)
が語源らしい。
物の後ろ側,
裏面
セイ
と言う。
背
の字は,
北(人が背中合わせに立った象形)+月(肉)
で,「セナカ」が原義と。
背は,
せ,せなか,
の意の他に,
物の高い部分のこと
を意味し,馬の背とか,橋の背と言う使い方をする。
その他に,
そむく,
背中を向ける,
背中を向けて離れる
(転じて)現世に背を向けて死去する
せおう
背を向けて暗誦する
といった意味があるが,「背」と言うと,「向背」「背信」と言う使い方にあるように,マイナスのイメージがある。背を向けるということからくるメタファーだろう。
「そむく」には,
叛(離反の意)
背(うらはら,になる意,向の反)
反(ひっくり返りて叛く。叛に通じ,謀反・謀叛と使う)
負(恩に背き,徳を忘れるを言う)
乖(そむいて離れる。そのさま。乖離,乖戻)
違(行き違いやくいちがい)
倍(ふたつに離れる)
北(背を向けてさむく,背を向けて逃げる)
と使い分けるが,いずれの場合も,「背」中が見える気がするのは,気のせいか。
別れる時も,離れる時も,反する時も,背中を向ける。
背中合わせ
背中同士
仲が悪いことを指すし,
背(中)を向ける
は,そのことに対して距離を置くことを指す。あるいは,逃げる,という意味も含まれる。しかし背は,
その人の意思表示
でもある。
動物なら,背を向けることで敗北を認めることだ。それに追い打ちをかける類のことはしない。
戦国時代には,そんな言い方をしないが,江戸時代になると,ネットには,
背中を切ることは卑怯とされ,また背中を切られることは敵に背を向けた,すなわち逃げようとしたことを意味するとして恥とされた。安藤信正は坂下門外の変において背中に傷を負い,一部の幕閣から「背中に傷を受けるというのは,武士の風上にも置けない」と非難されている,
というのがあった。しかし,僕には,
背を見せた方の卑怯と,背を見せたものを背後から斬ったものの卑怯とは,同罪に見える。
そもそも,背を見せることが卑怯未練と言うのは,平和ボケそのものに見える。武士道と言われるものを好まないのは,無用になりかけたおのれの存在理由を見つけようとしている程度の,平和な時代の頭でひねくり回した武道論に過ぎないからに違いない。
少なくとも,僕には,逃げることをよしとしない,と言うのは,机上の空論で,戦さの修羅場を知らぬ文官の暴虎馮河の類である,と感ずる。
戦国時代,戦いが常態ならば,そこで逃げなければ,リベンジはない。死ぬことをよしとするのは,死を自己目的化した平和の時代ないし, 戦ったことのないものの言辞に見える。たとえば,
背に腹は代えられない
ということわざがあるが,これは,
五臓六腑のおさまる腹は,背と交換できないの意で,腹を守るためには,背を犠牲にしてもやむを得ない,という意味。それが転じて,さし迫った苦痛を回避するためには,ほかのことを犠牲にしてもしかたないの意に広がった,
といわれる。
つまり,戦闘においては,腹部は大切な部分だから,進退極まった時でも,腹部を保護して背中を切らせよとの意味なのである。腹を切られれば致命傷になる。その点背中には背骨や肋骨があり,斬られても骨が内臓を庇って,致命傷にはなりにくいように背を向ける。
要は,背を向けるには,実践的な知恵もある。
大体戦闘時,殿軍(しんがりいくさ)ほど難しいものはない。秀吉が金ヶ崎で,袋の鼠の織田軍撤退の殿軍を自慢するのは当然のことだ。逆に,織田軍は,後に,撤兵する朝倉軍を,追いすがって一気に殲滅したくらい,
追い切り
という,逃げる敵の追撃戦ほどやさしい戦はない。それだけに,殿軍が重要になる。
戦時でなければ,背を向けるとは,戦意の喪失である。背を見せた人間を打ち負かせば,試合なら非難囂囂であろう。同じことだ,背を向けたものに刃を向けたものこそ,本当は,咎められるべきなのではないか。それこそ,両手を上げて投降した人間を,無視して殺戮するようなものである。
背は,人の意志であり,あるいは,背は,その人の(その一瞬までの)足跡を見せているのかもしれない。別に男の背中だけが,意味あるのではない。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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