2014年09月15日
茶事
片岡宗橘さんのお誘いを受けて,「初めてのお茶事」,
https://www.facebook.com/events/299572350223694/?ref_dashboard_filter=upcoming
に参加させていただいた。同じ片岡さんのお誘いで,香道やら,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/393251223.html
についても,また,茶道についても,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/396593854.html
も,それぞれふれたことがある。茶事は,
「『三時の茶』といわれ,三つの時刻に大別される。朝茶事=朝食をかね,夏季の早朝6時頃に案内を出す。正午の茶事=昼食をかね,最も格調高く正式な茶事」
とされるそうだが,今回は,
「正式な茶懐石に,3畳の小間のお茶室のでお茶事」
と,本格的なものの片鱗に触れさせていただいたことになる。感想は,と聞かれると,
自分のお行儀の悪さ,
を思い知らされたが,それ以上に,濃密な空気というか,密室性を感じた。前にも書いたが,『名将言行録』に,あまり真偽は問わぬが花とは思うが,
秀吉に茶室に招待された黒田官兵衛(は茶道に関心がなかった)は,そこで一向に茶を点てず,小田原攻めの話に終始した,そして,秀吉は,
これこそが茶の湯の一徳というものである。もし茶室以外の場所で密談すれば,人から嫌疑を懸けられるが,茶室であれば,その心配がない,
と言った,というのである。ま,しかし,茶室という,(今回食事は別間であったが)狭く閉ざされたところで,濃密な時間が流れる。これは,独特である。つくづく,(今回男の人ばかりであったせいもあるが)男の世界だと感じた。
こういう茶事がいつから始まったかは知らないが,たぶん,当初は,というか,秀吉の時代は,もっと簡単な食事だったのではないか。茶事は,
「茶の湯の食事であり,正式の茶事において,『薄茶』『濃茶』を喫する前に提供される料理のことで,天正年間には堺の町衆を中心としてわび茶が形成されており,その食事の形式として一汁三菜(あるいは一汁二菜)が定着した」
とされる。何を気にしているかというと,こんなに長々やっていたとすると,意図なくしてはやらないのではないか,ということだ。
たとえば,仲間内の関係を深める,関係を深めたい相手を仲間内にする,あるいは,対手を仲間と錯覚させる等々,この時間を共有することで,仲間に入れた,入っている,入りたい,と言った感覚が醸成される。
僕はへそ曲りなので,江戸時代はともかく,室町,織豊期は,この濃密な関係づくりそのものに意味があったはずだと思うのである。つまり,
おもてなし
は単なる心の問題ではなく,もっと生臭い意味があるのではないか。今回は,僕自身が最近不調法になったので,酒の部分は,よく見ていなかったが,
千鳥(の盃)
というのがあり,調べると,「八寸を持ちお詰までお酌と海の物,山の物を向こう付けに取ってもらい一巡したら,千鳥の杯にはいります」
とあり,(長くて申し訳ないがそのまま引用すると)こんな説明を見かけた(流派によって違うかもしれないが)。
「亭主は正客に,『どうぞお流れを』行のお辞儀
正客は,『別杯のお持ち出しを』
亭主は,『お持ち合せがございませんので』
亭主は燗鍋を次客の膳右横に置く。
正客は自分の杯を懐紙で清め,杯台にのせ亭主に手渡す。
次客が,亭主に,お酌
正客は,亭主に,『海,山の物』を懐紙によそい差し出す。
亭主は,杯を清め右手を畳に添えて草のお辞儀をして正客に『暫時拝借いたします。』
正客は「どうぞ!」
亭主はいざって次客にお酌,燗鍋はお詰の膳の右に置く。
亭主は,次客に,『お流れを』行のお辞儀
次客は杯を清めて回して亭主へ渡す。
お詰が,亭主にお酌
お詰は亭主に『お流れを』行のお辞儀
亭主は杯を清め回してお詰に手渡す。
お詰にお酌した後燗鍋はお詰の膳の左に置く。
亭主はお詰に『お流れを』行のお辞儀
亭主に,お酌をした後燗鍋はお詰の膳の右に置く。
亭主は杯を清め盃台にのせ、燗鍋を持って正客の座へ進み、正客に『長々とありがとうございました。』と返しながら、お酌する。
正客いただく。杯を清め回して亭主に渡してお酌をする。
正客『十分にちょうだいいたしましたのでどうぞご納杯を』
このように・・・
亭主が千鳥が舞うように杯を回しつぎをすることから千鳥の杯と申します! いつまでも」(「茶懐石を楽しむ会」のホームページから)
という具合である。
要は,いつまでも呑みつづけていく(特に正客は大変らしい),というわけだ。これって,茶事というより,お茶(け)事,つまり宴会である。しかも真っ昼間の。
江戸時代ならなおさらだが,誰もかれもが招いたり招かれたりされるものでも,そうできるものでもない。こういう場に出ること自体が,一種ステータスなのに違いない。とすると,参加させてもらったことで,あるいはその場に入れてもらったことで,仲間内の濃密な雰囲気に加わった気分になり,一層濃密感は,高まる。
前にも感じたが,茶というのは,
場
そのものをつくる,という感じである。そこにいること,入れてもらうことが,すでにステータスなのである。言ってみれば,社交界デビューみたいなものである。その意味では,もてなす側は,どんなお客様を招き,そういう場(茶会)を設けられること自体が,そもそもステータスのはずである。
記憶で書くが,確か,秀吉が,ある時期に信長から,茶会を開くことを許された。たぶん,信長は限られた家臣にしかそれを許さなかったはずである。秀吉が,信長から,天下の名物・乙御前釜を播磨平定の褒美としてもらったのは,茶会を開くことを既に許している,或いは今後許したという証である。
その後,江戸時代に入っても,なおのこと,茶会を開けること,そこに招かれること自体が,ステータスであったのではないか,という気がする。
つまり,お客,しかも名だたる人を客として招き,茶会を主催するということ自体が,あるいは,そういう席に招かれること自体が,つまり,おもてなしをする側も,それを受ける側も,それ自体が,実に誇らしいことであったに違いないのである。
いま,誰でもが参加できるからといって,ますます作法が,所作が微に入り,細を穿つようになったのは,逆に,それがステータス性を失ったからのような気がする。なぜなら,求められる所作や作法そのものが,そのステータスにいる人にとっては,当たり前の日常的な振る舞いでしかなかったから,そのままの立ち居振る舞いが自然でしかない,そういう雰囲気の場であったのだ。たぶん,そういうことも含めて,自分たちのステータスの確認の場であったのかもしれない。
何はともあれ,お茶事は,お茶(け)事でもあるらしく,そこにも,色濃く,かつての時代の軌跡を,残しているように思う。ただ,宴会のように崩れるのを抑制しているのが,上記のような作法というか所作というか,それ自体がおのれの出自をあらわすという矜持が全体の品位を下げないものになっていたのではあるまいか。そして,それは,今日も,その決まりごとを外さないことで,なし崩しにぐずぐずになるのを押しとどめている仕掛けに見えてくる。それが,品を保つ下支えになっているように見える。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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