2014年09月22日

自然体


久しぶりに,コーチングのセッション会,コーチング・フェローズに出かけた。土曜日の昼間というのが,出やすかった。といって,出かけるまでは,結構億劫であった。友人の死以降,どうも学びとか研鑽とかに目が向かず,鬱々とした,脳死状態にいた気がする。したがって,コーチングをするのも受けるのも忌避する気分であった。たぶん,コーチングというのは,健康な人でないと,耐えられないものがあるのだと思う。その意味では,ちょっと腰を引き気味で出かけた。

案に相違して,まあ,コーチングをするのもされるのも,自然体でできた気がする。

自然体というのは,自分の等身大を崩さないで済んだ,という意味だ。もう少し言うと,自分がいつも関心を向けるものに関心を向けているのと同じように,相手の見ているテーマを一緒に見られたということだ。ちょうど,一緒になって,相手の描くテーマのスクリーンを見ている,という感じだろうか。

多分,そういう状態のときは,同じ土俵の上で,一緒になって,すったもんだしている。だから,応答も,質問も,相槌も,リズミカルだし,自然な会話になっている。あえて言うと,事々しい問いでもなく,たとえば,相手の言った,

一緒に揉んで作り出す,

といった表現があったとすると,

ブレインストーミングのような,

と返す。そうすると,その言葉との差異が相手に明確になってくるので,そうではないと,なにがしかの説明がある,で,また,たとえば,

クリエイティブっというような,

と返す。すると,それが,相手の中に,また別のイメージがわいて,それとの差異を明らかにする。

ちょうど,説明があると,それに名づけ,その名づけが,異なるイメージを浮かばせ,でまた説明がある,という感じである。そこで気づいたのは,そこでする名づけは,

要約

というか,話を端的にまとめて,ちょうどKJ法で,カードをグルーピングして,グループ名を付けるようにして,返していることになる。

思うに,言葉は,独特の世界を開く。ヴィトゲンシュタインではないが,

その人の持っている言葉によって,見える世界が違う,

のだとすると,言葉がワンフレーズでも,その言葉を与えられることで,

そうそう,と肯定する場合も,

いやいや,と否定する場合も,

そこに,なにがしかの視界を開く。違っていれば,差異として,自分の言いたいことが逆に明らかになる。当たっていれば,その一言で,見たい視界が開ける。

その意味で,返す言葉は,結構重要だが,相手のしゃべっているタイミングに,即応するように,瞬時に返せないと,そういう変化は,相手に起きないのかもしれない。

あるいは,相手自身の思考の間というか,考えるリズムに合っている,ということが大事なのかもしれない。

相手が語っていることに,ただ,例えば,それって創造ですね,と返されると,相手の中で,その名づけられた言葉,つまり要約した名づけと,いま自分が話したこと(あるいは,これから話そうとしていたこと)との間で,撹拌というか,化学変化というか,いわばすりあわせが起きる。というか,まるで,こちらの名づけが,

相手の自己対話の一員のように加わる,

ことが出来る,という感じなのである。その間合いが合う,ということが必要なのだろう。

それで思い出した。本来,コーチングの会話は,コーチが,クライアントの自己対話のそばにいて,

まるでもう一人の自分のように自己対話に加わって,

言葉を返す,ということが重要なのだ,ということを,忘れていたらしい。その重要性を,改めて思い出した。

たぶん,思うのだが,ちょうど自分にとっても関心のあるテーマだったということもあるし,理知的な領域についての模索ということでもあったせいか,僕には,すぐそのテーマの土俵にすぐに乗れた気がする。

関心を持って聴く
とか
注意を向ける
とか
好奇心をもつ
とか

といっても,いくら関心を向けても,相手の心情や心境に全く自分の想像力がついて行かないときがある。それは,心がざわついた状態といっていい。もともと僕は,相手の感情や状態にさほどに目の向かない質なので,余計そうなのかもしれないが,質問が,

コーチ側の土俵

からしかされないので,相手にとっては,それは,外からくる問いなのだ。だから,その問いに向かって,答えようとする。そのとき身構える。それは,ただのキャッチボールに過ぎない。そうではなく,質問が,あるいは,返した言葉が,

クライアント自身の土俵

の上で,まるで自分のした問いのように,自問自答で,自分で自分に返した問いであるような,タイミングと間合いで出された問いの場合,それは,

自己対話の輪の中

でのやり取りに紛れていく。そのとき,クライアントは,自分自身の中で,自分と対話しながら,自分で答えを出していく。そうすると,大事なのは,

いつもの堂々巡り

に陥らない,ちょっと異質な視点から,しかし,その自己対話を妨げない問いであり,言葉でなければならない。

自然体

としいうのは,たぶん,コーチ側のことではなく,そういうクライアント自身が,自然な自己対話を促し,推し進めていけるような状態,ということを指しているのだろう。

そのためにコーチができることは,クライアントの思考のリズムと間合いを崩さないことだ。

すべてには当てはまらないが,そういうタイプのクライアントがいる,ということだ。





今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

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posted by Toshi at 04:58| Comment(0) | コーチング | 更新情報をチェックする
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