2014年10月01日
漢語
高橋睦郎『漢詩百首』を読む。
前にも漢詩については,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/406252031.html?1412021752
で取り上げた。漢詩の訓読については,いささかの疑問を持っていたが,本書で,少し,意味を理解したような気がする。
著者は言う。
「日本語は,固有の大和言葉と外来の漢語・欧米語から成っている。とくに漢語の来歴は古く,大和言葉と分かちがたく,外来語と意識することがないまでに日本語の血肉となっている。」
と述べ,例えば,敗戦時に多くの日本人の脳裏に浮かんだのは,
国破れて山河在り
という杜甫の漢詩の一行だったのではないか,という。この,
国破山河在
城春草木深
を,千数百年前のわれわれの祖先が,送り仮名や返り点を付けることで,日本語で読もうとした。そして,
国破れて山河在り
城春にして草木深し
と読んだ。だから,
「この驚異的な,あえていえばアクロバティックナ発明によって,漢詩という外国の詩はなかば日本の歌に,いや,ほとんど日本の歌になった。」
と。さらに,
「私たちの祖先は漢詩を日本語として読む工夫をしただけでなく,自分でも漢詩を作ることを試みた。」
本書には,中国の詩人60人に対して,日本人の詩人40人が載せられている。
中国人は,『詩経』は詠み人知らずのため,『論語』の孔子,
逝く者は斯夫の如きか,昼夜を舎かず
から始める。次は,荘子の,
知らず,周の夢に胡蝶と為るか,胡蝶の夢に周となるか
を採り,
「後世の詩人はほとんど孔子型と荘子型にわけられるのではないか。たとえば,中国の詩の歴史上,最高峰と目される二人のうち,杜甫が孔子型,李白は荘子型といえよう。」
と,冒頭に二人を持ってきた所以である。中国詩人の最後は,毛沢東で,
九嶷山の上 白い雲は飛び
帝子は風に乗って翠微に下る
を採る。一方日本人は,聖徳太子,憲法十七条から,
春従り秋に至るまでは,農桑之節なり
民を使う可からず 其れ農せずは何をか食わん
桑せずは何をか服ん
を採り,詩人,鷲巣繁男の,
地崖 白雪を呼び
青夜 孤狼を発す
幻化 星暦を司り
詩魂老いて 八荒
で締める。ちょうど百人の詩人列伝になっている。こうして,我々の祖先は,漢語を自家薬籠中のものとすることで,
「自分たち固有の文芸や詩歌を豊かにしていったわけです。…たとえば明治維新に欧米の文明を受け入れて自分のものにしたのも,かつて漢字を通して中国の文明を受け入れて血肉化した経験があったからでしょう。ついでにいえば,現在中国で使われている漢字熟語60パーセントが明治維新に欧米語を受け入れるに当たって日本人が作った和製漢語だとききました。」
というところへ至る。漢字へのそういう意識が,真名としての漢字に対して,漢字を借りることで作り出したかなを,
仮名
と呼ぶところに現れている。
「日本人は中国から文字の読み書きを教わると同時に,花鳥風月を賞でることも学んだ。花に関してはとくに梅を愛することを学んだが,そのうち自前の花が欲しくなり桜を賞でるようになった。梅に較べて桜は花期が短いので,いきおいはかなさの感覚が養われる。その成果が漢詩にも現れた典型」
として,
宿昔は猶し枯木のごとかりしに
迎晨一半紅
国香異けこと有るを知り
凡樹同じきことなきを見たり
を挙げる。これは,同時代の,
世のなかにたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
と歌う在原業平と同じ感性・心性の表現になっている,と。
しかし,もはや漢詩を作れる人はいなくなった。これは,
「日本人全体の漢語力の低下であり,漢語力の低下は漢語を日本語化した日本語力の低下をもたらしかねない。」
と著者は言う。著者の次の言葉は,僕は大きく頷きたい。
「グローバル時代の今日,必要なのは英語力で日本語力ではない,という極論もある。しかし,グローバル時代に適応する底力は国語力であり,国語による教養にあることは,グローバル時代の走りともいえる明治開国期の先人たちの漢語力を含む国語力の豊かさが,力強く証明している。」
持っている言葉によって,見える世界が違う。狭く貧弱な言葉しか持たない者には,狭く貧弱な英語理解しかできない,と僕は思う。
『詩経』序には,
「詩は志の之く所なり。心に在るを志と為し,言に発するを詩と為す」
とある。僕は,それを敷衍して,
文もまた志の赴くところ
と言いたい。陸游の
汝果たして詩を学ばんと欲せば
工夫は詩の外に在り
と。どこか,小楠を思わせる。
参考文献;
高橋睦郎『漢詩百首』(中公新書)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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