2014年10月06日

売国奴


かつてなら,

非国民

と言われていたが,今日,

反日,

売国奴,

がその代用レッテルになった。

自国を批判することは,許されなくなった。反原発であれ,反秘密保護法であれ,反基地であれ(デモ自体をテロと為政者が呼び,ナチの旗を振るヘイトスピーチと同列する国だ),それは,

反日行為

と見なされる。こんな体たらくで,北朝鮮や,中国のことがとやこう言えるのか。

嫌な時代になった。

為政者の意向に沿わないものは,徹底的な攻撃,排除,抹殺,あるいはテロの対象になる。戦前とまったく同じである。これで秘密保護法が現実に実質機能するようになれば,治安維持法と同じ効果を発揮するだろう。

いま朝日新聞出身の大学教員が狙い撃ちされ,辞職を余儀なくされているばかりではなく,家族,子弟まで顔写真を公けにされ,ネット上で自殺すら強要されている。卑劣なことに,彼らは顔を出さない。たぶん,権力が肩を持っている以上,黙って沈黙と忍従を強いられるだろう。

これは,もはや民主主義国の体ではない。

尻馬に乗って,朝日新聞を叩くメディアは,メディアとして叩く分には,いい。しかし,それが,そのまま特定個人を追い詰め,脅迫することにも加担しているかもしれない,という自己認識がなければ,もはや,ただの権力の手先である。北朝鮮の新聞と同じである。

昨今,南京虐殺どころか,慰安婦もなかったことにされようとしている。あまつさえ,関東大震災の朝鮮人虐殺さえ,なかったことにしようという声すら出ている。

こういうのを,

恥知らず

という。僕は,戦前何千人もの人が,インドネシアからマレー半島に連れていかれて行方不明になった,その方々を捜索するのに尽力された日本人を知っている。シンガポールに行けば,虐殺された方々の碑がホテルの前にあったのを見ている。われわれが,なかったことにしても(あるいは,あったこと自体を知らなくても),あったことを知っている人は,世界中にいる。なかったと言えば言うほど,日本人が,卑劣で無責任で破廉恥だということが確定するばかりだ。

日本は素晴らしい,
日本は立派だ,
日本は美しい,

と自分誉めするのはいい。僕は気持ち悪くてならないが,まあ,それはよしとしよう,しかし,やったことはやったと認めなければ,どんな立派なことをしたとしても,恥の上塗りにしかならない。

中国領土に自国軍を侵攻させながら,

侵略

という定義ははっきりしていない,という。そのくせ,尖閣諸島周辺に中国艦船が近づいただけで,侵略だという。訳が分からない。

自分のやったことをきちんと認めなければ,相手だって,侵略の定義は確定していない,とそのまま返せばいいだけだ。

惻隠の情

という言葉がある。『孟子』は,性善説だから,泥棒だって,井戸に落ちかけている幼児をみたら,助けようとする,そういう憐みの心は,人なら誰もが持っている,といった。

しかし,多く,権力に加担し,虎の意を借りるものは,そういう心を持たない。宮崎では,不法に産廃物を投棄していた会社を県知事に告発していた一主婦が,その会社から告訴された。



なきところには,人はいない。

惻隠の心無きは人に非ざるなり,是非の心無きは,人に非ざるなり,

と,『孟子』はいう。続けて,

惻隠の心は仁の端(はじまり)なり。羞恥の心は,義の端なり。辞譲の心は,礼の端なり。是非の心は智の端なり。

とある。今日無恥の時代になり,無知の時代になった。

他国を嘲ることで自国が持ち上がるというのは,錯覚にすぎない。他国を貶める堕ちた心は,貶めた瞬間,おのれ自身が相手より数倍が堕落している。

しかし,他を貶め,脅迫する人は,そのことで高揚しているのだろう。そういう人の耳には,正論も,論理も届かない。

嫌な時代となった,とはそういう意味だ。

自分を褒める,
自分を愛する,

というのが嫌いなのは,こういう心性に通ずる気持ち悪さを感じているからだ。自分を愛さなければ,自分の成長を果たせないという姿勢そのものが,僕にはわからない。

自分を叱咤する

から自分を正す。自分を愛して,その自分を受け入れる,という姿勢は,どこか,

日本を愛す,

を強要する姿勢と通底する居心地悪さがある。

志を得ざせれば独り其の道を行い,富貴も淫す能わず,貧賤も移うる能わず,武威も屈く能わず

という。大事なのは,



である。志については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/402717305.html

で触れた。志とは,

心の之(ゆ)くところ

である。目指すものと言ってもいい。だから,大塩平八郎(中斎)の『洗心洞箚記』では,「志」の訳に,

目的

があてられていた。自分を愛すとか愛さないとは関係ない。

何のために生きているかが見えていない,

というだけのことだ。自分を愛すが,そういう自分を愛す,というなら,

何をか言わんや,

である。

参考文献;
小林勝人訳注『孟子』(岩波文庫)
吉田公平訳注『洗心洞箚記』(タチバナ教養文庫)





今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

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posted by Toshi at 05:23| Comment(0) | 時代 | 更新情報をチェックする
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