2014年10月10日
茶
少し前になるが,第3回片岡宗橘が語る「近くて,深い」茶道の世界
https://www.facebook.com/events/489023331234328/?ref_dashboard_filter=upcoming
に参加させていただいた。片岡宗橘さんが亭主の,お招きいただいた茶事については,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/405435166.html
で書いた。
今回は,その茶事のほぼ二刻の全体の流れを,改めて説明していただくことから始まり,改めて,よく仕掛けられた仕組みだと感じ直した。
こう言うのを文化というのだと思うが,しかし,僕は,これは,いまの時間に取り残されつつあるような気がしてならない。
確かに,禅とお茶のつながりが,
掛け軸の問い
と,
花の答
のような,公案そのもののような仕掛けとか,
亭主と客との阿吽の呼吸とか,
培われてきた深い文化の息吹を感じないではない。
しかし,そのお茶や茶事を堪能し,それを味わったり,その立ち居振る舞いを身につけたりすること以外に,その持っている文化性や伝統を今日の社会に生かす方法はないものだろうか。
その楽しさや味わい深さは,経験してみなければわからないし,そういうことを体験する場は,多く与えられているかもしれないが,その懐深い文化性を,いまの社会に発信する方法はないものだろうか。
思うに,現実の社会との断裂が深すぎて,地続きになっていないのである。それを体験することが,一種別世界へ入るような感じというのは,あまりいいことではない気がする。文化は,
過去の遺産
ではない。その文化が,我々の今の中に生きていなくてはならないように思う。茶の世界と,いまの世界とを橋渡しするものが必要なのではないか。それは,茶を体験するということではなく,茶の文化そのもの,茶をはじめとする奥深い世界そのものからの発信があっていい。
毎日の日々の中に,たとえば,あの軽薄な「おもてなし」という言葉ではなく,日々の立ち居振る舞いや仕草の中に,生きるものを,掘り起こし,
意味づけ直す,
あるいは
設え直す
ということが重要なのではないか,という気がしてならない。
文化とは関係ないところから,どこぞのコンサルタントが考え出したとしか思えない,マニュアル化した,
変な挨拶
や
変な言葉遣い
や
妙な仕草・ふるまい
を文化の地層から,ひっくり返していく発信が必要ではないか。一つ一つ正していくといってもいい。
さもなければ,文化の地層とは断層した,その愚かしい(日本由来とは思えない)仕草やふるまいが(いかにも日本式として)固定してしまうのではないか。
隗よりはじめよ
である。日々の振る舞いや礼儀作法は,厚い文化の地層と地続きでなくてはならない。
礼を学ばずば,以て立つなし
と言う。
茶事やお茶を体験し,味わうことで良さは分かるが,それは,時代の流れとは余りにも隔絶している気がしてならない。だからこそ,必要という考えもあるし,その意味が分からないでもないが,それでは,ただ守る文化と一緒なのではないか。
歴史にも茶にも疎い人間なので,ここからは,勝手な妄想を述べるが,いま,日本の文化は,確かに,うすっぺらになったような気がする。しかし,それは,明治維新期,敗戦期という二つの変革期によって,伝統と切れたせいだけとは,僕は思わない。
文化というものは,持続し,育てていくものではあるが,守るものではない。守ろうとするとき,それは,時代からずれ始めている。なんたら保存会というものの意味がないとは言わないが,それは文化ではなく,保存芸能のようなものになっている。
文化は,いまの中に生きていなくてはならない。そこに過去の堆積が反映しつつも,日々新たに作り出され続けなくてはならせない,と思う。
たぶん,茶が茶としての意味とを独自に作り上げていく時代背景は,戦国から織豊期へと,絢爛たる文化の開花期というのか(秀吉という個性にリンクしている気がするが),町人が堺という特殊な自治都市で力を得ていたことと関係するのか,そのあたりは,専門家ではないので,憶測でしかないが,そういう時代背景と深く関係していたのではないか,という気がしてならない。
その茶が,江戸期,形式的に整えられていくのもまた,江戸時代という安定した時代と関係が深い気がしてならない。
文化は,生きていなくてはならないと思う。
文化は,堆積した歴史を掘り出し,史跡として保護するような考古学の対象ではない。いまという時代の何かとして,カタチとして意識的に示すことで,始まるのだと思う。たぶん,利休は,そのことに意識的であったと思う。茶器,茶碗,花,掛け軸,すべてを意識的に構成した世界を創り出した。その世界は,あの時代には,あの時代の人々には,ぴったりくるものだったのだろう。
しかし,それはまだ文化ではなく,一つの流行でしかない。それをひとつの世界として形づくり,意味づけていった醸成期間をへて,文化になる。それが,芭蕉の世界観にもつながっていく。
いま,芭蕉がその精神を引き継いで,新たな文化を切り開いたように,必要なのは,新しい文化へとつなげていくことなのではないか。
思うに,そういう開拓精神が途切れて,一方では,文化を守り,守られている精神は時代とは隔絶し,他方は,はやりすたりの中で,軽薄な文化もどき流れて消えていき,蓄積されるべき文化は遂に創り出し切れていないのではないか。
先ず言葉から始めようではないか。
名正しからざれば,則言順わず,言順わざれば則事成らず,事成らざれば則礼楽興らず,礼楽興らざれば則刑罰中らず,刑罰中らざれば,則民手足措く所なし,故に君子これに名づくれば必ず言うべきなり。これを言えば,必ず行うべきなり。
言葉と実とを糺すこと,真のおもてなしとは,うすっぺらのことではないことを,今示さなければ,あんな程度のものが「おもてなし」というものとされてしまうだろう。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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