2014年10月13日

捏造


原田実『江戸しぐさの正体』を読む。

江戸しぐさというのが,社員教育やマナー教育で跋扈している,という。その真偽は知らないが,地下鉄か何かの広告で,こぶしうかせというのを,イラスト入りで見た記憶はある。そのときは,気にも留めなかったが,考えてみたら,椅子などに腰を下ろす,「座る」ではなく,

坐る

のが常態で,あぐらにせよ,正座(これも明治以降生まれたという説がある)にせよ,たとえば,車座になって坐っているところで,こぶしうかせは意味があるとは思えない。



は,

人+人+土

で,人が地上に尻を付けて坐ることを示す。身の丈を縮める意味があるらしい。



は,「人+人+土」+广(いえ)

で,本来は,家の中の坐る場所を指す。

さて,本書は,文科省までが,その配布した道徳教材に,

「『江戸しぐさ』が江戸時代に実在した商いの心得」

と明記していることや,それを公民教科書で扱っていることに,危機感を覚え,その正体を暴こうというのが動機のようだ。

最初の提唱者,芝三光の頃は,200位とされた「江戸しぐさ」が,いつの間にか8000とされ,まだまだ増える気配である。それ自体が,すでに胡散臭い。

著者は代表的なものを,いくつか取り上げて,丁寧に反証しているが,たとえば,「傘かしげ」について,疑問を呈している。

ひとつは,傘の普及は,江戸自体後期,傘を差したもの同士がすれちがうシチュエーション自体が,頻繁であったとは思えない。

和傘は,スプリングの入った洋傘に比べ,すぼめたまま手で固定するのが楽な構造になっている。

なにも強引にすれちがわず,一方がすぼめてよければすむ。

江戸の商家や職人の家は,道に面したところに開け広げの土間をつくり,そこを店頭や作業場にしている。そこで「傘かしげ」をやられては,店先がずぶぬれになる。

等々である。現に,傘が普及する以前の庶民の雨具といえば菅笠と簑であり,安藤広重の描いた「大橋あたりの夕立」(「名所江戸百景」)には激しく降る夕立に傘をすぼめて急ぐ町人の姿が生き生きと描かれている。他に,笠と蓑か茣蓙をかぶっている人もいる。

それに,和傘は,

数十本の骨が用いられる。これは洋傘と違い,傘の開き方が,竹の力により骨と張られた和紙を支える仕組みとなっているため,すぼめた際に和紙の部分が自動的に内側に畳み込まれる。その上,自然素材を多用した結果,洋傘に比べて重い。

という。どうも,洋傘をイメージした「しぐさ」ではないか。あるいは,電車にも広告の出ていた,「こぶし腰うかせ」については,「江戸しぐさ」には,こうある。

「川の渡し場で,乗合舟の客たちが船の出るのをまっているとき,後から乗ってきた新しい客のために,腰かけている先客の2~3人は,腰の両側にこぶしをついて,軽く腰をうかせ,少しずつ幅を詰めながら,一人分の空間をつくる…。」

しかし,しかし狭い渡し船でそんなことをするよりは,いったん腰を上げたほうが早い。だから,茶店のイラストが使われる。どう見ても,市電かなにかのに長いシートでの席の譲り合いのイメージであり,江戸という時代の生活臭がしない。だから,

「『江戸しぐさ』は盛んに江戸時代を称揚するが,それらはいずれも現代的な常識に彩られたもの」

と著者が言うのはもっともだ。生前,提案者の芝は,「江戸しぐさ」は,

「芝の造語」

と言っていたらしいが,いつのまにか,横浜生まれの芝が,

「私の子供の頃,『江戸しぐさ』という言葉は年中耳にしたものでございます。半世紀前までは『江戸しぐさ』が生きておりました」

と言ったことになる。その詐術が,単なるマナー運動にとどまるうちはいいが,安倍政権の後ろだてを得て,学校教育に浸透し始め,「江戸しぐさ」が権威を持ち(イデオロギー化するということだ),禁止されているものとして,

「戸閉め言葉」
「ちょうな(手斧)言葉」
「水掛け言葉」

などを「逆(さか)らいしぐさ」として挙げはじめたとき,すでにそれは,「敵性用語」的になる危険が,確かにある。

「戸閉め言葉」とは,でも,だって,しかし,そんなこと言っても,と相手の言葉を遮る言葉,
「ちょうな言葉」とは,手斧で叩き斬るような乱暴な言葉,
「水かけ言葉」とは,それがどうしたの,と相手の気分に水をかける言葉,

という。それは,相手への反論をしたり疑問を呈することを封じるものである。そのまま,今日の政府の問答無用の振る舞いに近い。単なるマナー運動と見過ごすには,ちょっときな臭さを覚える。

そもそも「しぐさ」という言葉が,いつからあったのか,と調べてみたが,

「シ(為・サ変動詞スルの連用形)+クサ(物事の種)

と,語源はあるが,来歴がわからない。で,手持ちの古語辞典には,しぐさはなかった。『大言海』は,

しぐさ 「仕種」をあて,テダテ,シカタ,シウチ
しぐさ 「科」をあて,所作,ミブリ

と区別してあげる。それ以上はわからなかったから,ここからは,妄想に近いが,

しぐさ

という言葉を使ったこと自体で,既に馬脚を現している気がする。たぶん,「仕種」が古い。そこにあるのは,テダテ,
の意である。身振りには,古くは,所作という言葉を使ったのではないか。

それに,商人というなら,ナニワではないのか。なぜ,「ナニワしぐさ」ではないのか。なぜ「江戸」にこだわったのか。たとえば,奥野卓司氏は,

「『江戸文化』は江戸時代という期間のなかでの,日本各地の文化のことであるはずだが,いつの間にか江戸という一都市の文化にすりかえられてしまっている。少なくともその前半は,上方,西日本のほうが,江戸よりも先進的で高度な文化的成熟がみられたはずなのだが,…『江戸文化』に関する本でも,『江戸文化』は『江戸の文化』という先入観を与えるように書かれている場合が多い。」

という。「江戸しぐさ」もその系列であるというより,意識的にそうしている。

「彼が生きた時代の歴史観から『江戸文化』を記述して」いる,と著者は想定している。この辺りは,もう少し掘り下げる必要があるだろう。本書が,その端緒となってくれるといいのだが,なにせ,

噓も繰り返せば真実になる,

というナチのやり口をまねると公言してはばからぬ為政者の下なので,気味が悪いというより,恐怖が先に立つ。

参考文献;
原田実『江戸しぐさの正体』(星海社新書)
大槻文彦編『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
奥野卓司『江戸〈メディア表象〉論』(岩波書店)







今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

posted by Toshi at 05:28| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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