教える
向後千春『教師のための「教える技術」』を読む。
この本は,
「学校の先生や,塾の講師,家庭教師,研修講師といった教えることを仕事にしている人たちのための本」
だそうである。著者の言う通り,確かに,
「『教え方』について真っ向から教えを受けたということがない」
のだ。それでも教職について何とかできるのは,
「学校や塾という枠組みの中で,学ぶ人たちがあなたを『先生』として見ているので,あなたが何をしても,それを『先生からの教え』として捉えている」
おかげであり,それがいったん崩れて,逆回転すると,「教える技術」がないと回復できない,と著者は考え,「教師」つまりプロとしての教える仕事をしている人を想定し,
●教師という役割と立場,つまりプロの仕事して一定水準の品質が期待されていること(失敗が許されないこと)
●大人数を扱うため,クラス運営の技術が必要である
を前提にし,教師力に必要な,
①教える技術
②授業デザイン力
③クラス運営力
三つの能力を身につけていく方法を,本書では展開しようとしている。
と,ここまで書いて,少し気になることがある。閑話休題。
どうでもいいことだが,「能力」という言い方が引っ掛かる。スキルではないのか,ということだ。僕は,能力は,
知識(知っている)×技能(できる)×意欲(その気になる)×発想(何とかする)
だと思っているので,能力は,本で伝えることはできない。なぜなら,やってみようと思うところまでは,伝えられないし,何とかしようと思うところまでは,引っ張ることはできないというか,書き手にはわからない。その意味では,こうやればできる,と思わせる「スキル」の提案なのに,能力と看板を書き換えるのは,羊頭狗肉ではないのか,とちょっと疑問を呈しておく。
ついでながら,Gライルではないが,知識には,
Knowing that(そのことについて知っている)
と
Knowing how(どうやるかを知っている)
の二つがあり,スキルについての知識は,やってみる経験を積まなければKnowing howは手に入らない。その意味で,上記の能力の要素には,
体験(やったことがある)
や
気力(がんばれる)
や
体力(やり切れる)
も必要なのかもしれない。
さて,ちょっと横道に入りすぎた,本書の紹介に戻る。
まず「教える技術」については,
①運動技能
②知識獲得技能(宣言的知識)
③問題解決能力(手続き的知識)
④学習法略技能
⑤態度技能
を順次具体的に提示されている。それぞれには深入りしないが,これはOJTにも通ずるところが多々ある。必要なのは,教える側が,教える側の土俵(知っているという教壇)に立つのではなく,教わる側の土俵(知らない,やる気がない,わからないという土俵)に一緒に立つということだと感じた。それは,教わる者との協働作業だからにほかならない。その視点で言えば,相手が学ばないのは,共同責任なのである。
「授業デザイン力」は,授業の構想力といっていい。これは,ロバート・ガニエの,
①学習者の注意をひく
②学習の目標を知らせる
③すでに学んだことを思い出させる
④新しい学習内容を提示する
⑤学習のやり方を説明する
⑥練習をさせる
⑦フィードバックを与える
⑧学習成果を評価する
⑨学習したことを他の場面にも活かせるようにうながす
という「9教授事象」をモデルに,使うことを薦めている。さらに,授業に魅力という付加価値をくわえるために,「ARCS動機づけモデル」を提案している。これは,
A(Attention)
R(Relevance)
C(Confidence)
S(Satisfaction)
つまり,引きつけ,自分に関連づけ,自身を持たせ,やってよかったと思わせる,ということになる。
なんとなく,例の,山本五十六の,
やってみせて,言って聞かせて,やらせてみて, ほめてやらねば人は動かじ。
話し合い,耳を傾け,承認し,任せてやらねば,人は育たず。
やっている,姿を感謝で見守って,信頼せねば,人は実らず。
と,マインドとして重なる部分がある。ただ,いまは,山本の上から目線では,だめだと思う。
「わかった?」
とか
「大丈夫?」
とか
という問いかけが,イエスという答えしか実は求めていない(としか相手に受け取られない)のと同じく,相手の土俵の上に一緒に立つことだ,同じ土俵に立てば,こういう問いはしようがないはずである。
クラス運営については,アドラー心理学に拠って,
①タイプ 自分がどういうタイプの教師であるか
②プロセス クラス崩壊は一人の子供の荒れから進展するので,そのプロセスを知ること
③クラス会議をして,相互尊敬と相互信頼の雰囲気を創り出すこと
を提案する。これについては,信頼という土俵が成り立たなければ,すべてのスキルは無効化すると思っているので,日々のおのれの振る舞い,ありようには留意がいるが,しかし,それは,その人の生き方を反映するという気がしてならない。つまり小手先では無理である。
さて,こうして読み通すと,昔,認知心理学や学習心理学を学んだときのことを思い出させてくれる。しかし,あえて苦言を呈したい。
本書には,著者自身が,
「一冊の本の中で扱う内容としては,分量が多すぎたかもしれません。」
というほど,「教える技術」の総覧は提示されている。しかし,提案された「教える技術」を学ぶための手順と,そのためのスモールステップはどこにも提示されていない。さらに言うと,「教える技術」を学ぶための「学習法略」が示されていない。ゴールが高みにあるだけに,「教える技術」を学ぶためのの絶対条件は何か,逆に言うと,それを身につけていなければ,本末転倒となるような,骨格は何かの優先順位,つまり,学習ステップが示されていない。それは,まず何を学び,次に何を学び,そうして,最終的にどうなるのか,の全体ステップの提示でもある。本書のいう「教える技術」に即して,そのガイドラインが欲しいところだ。
参考文献;
向後千春『教師のための「教える技術」』(明治図書)
G・ライル『心の概念』(みすず書房)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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