2014年10月26日

可笑しい


ちょっと前のことになるが,ある芝居を観てきた。

http://inucoro.jp/kouen.html

いわゆる,取り違えと,すれ違い,という(無声映画でもよく観る)喜劇の王道のような話なのだから,確かにおかしいのだが,面白いか,と言われると,ちょっとためらう。

どうせなら,取り違えと,すれ違いを,徹底して押し通してしまってはどうか,そうすれば,別の終り方があったのではないか。どこかで,まとまりを付けよう,大団円というか,完結させようとする,予定調和は,不要なのではないか,とふと思った。僕は,

破調

が好きだと思う。徹頭徹尾,

どたばた

し続けたっていいではないか。収拾をつけようとするところで,ご都合主義と内部閉鎖性が出る,という気がしてならない。ところで,思うのだが,

可笑しい

面白い

とは違うのではないか。

可笑しいは,

古代語「ヲク(招・呼)+シ(形容詞化)」

で,

思わず笑みがこぼれる心的状態,

とある。平安期の新語だそうである。知的感動がある,趣きがある,の意であったようだ。

優れている,上品である

という意味さえある。

をかし

と表現する。「いとをかし」というやつである。

「あはれ」とともに,平安時代における文学の基本的な美的理念。「あはれ」のように対象に入り込むのではなく,対象を知的・批評的に観察し,鋭い感覚で対象をとらえることによって起こる情趣,

とも言うらしいが,

心惹かれる,

というニュアンスがあるようだ。しかし現代では,

こっけいである,
つい笑いたくなる,
いぶかしい,
変だ,
怪しい,
粗末である,

といった意味にシフトしてしまっている。一方,

面白いは,語源的には,二説あるらしい。

ひとつは,「オモ(面)+白い」で,顔面が白くなる意,

いまひとつは,「面+著し」で,顔の前がパット明るくなる意,

で,「面白い」は当て字ではなく,語源に即した書き方のようだ。

心に強く感じて,パッと顔が明るくなるような感情,

ということになる。

昔,火を囲んで話をしていたところ,面白い話になると,皆がパッと顔を上げ,火に照らされた顔が白く浮かび上がった,

という俗説もあるらしいが,そんなイメージだろう。

だから,昔は知らず,いまは,おかしいだけではつまらない。

おもしろうてやがてかなしき鵜舟哉

という芭蕉の句が思い浮かぶが,何と言っていいか,

異次元

に入り込んでしまっていたたような,感覚なのだ。だから,我に返ると,

寂寥

というか,祭りの後のような

もの悲しさ,

というか,

身につまされる,

おのが身を省みる,

というものが残る。

ドタバタを観ているとき,観客は,客席から,その取り違いが起こすやり取りを,笑っているのである。それは,自分とは違う,という目でなければ笑えない。面白さとは,その距離感が違うと言っていい。

我に返る

という一瞬の「間」がない。

可笑しさも中くらいかな,

あっ,ではない。

めでたさも中くらいなりおらが春

だったか。

僕は,どんな作品も,現実の文脈から自立した,完結性があるべきだとは思うが,同時に,時代と,あるいは観ている側の文脈とせめぎ合うような緊張感が欲しい。

それが,

面白い,

の評だと思う。その緊張は,作家自身の中なのか,作品の中なのかは,素人の僕にはわからない。しかし,どこにも時代とのせめぎ合う緊張感のない完結性は,少し物足りない。

それは,作家の中に葛藤がないか,葛藤に無自覚であるか,それを(テーマとして)見ないでいるか,のいずれかのような気がする(いや,いや,ひとごとではないが)。

かつての清水邦夫や初期のつかこうへいには,それがあった気がする。いまなら,野田秀樹か。いやいや,面白い芝居は,確かにある。それについては,先日,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/407649473.html?1414094841

に書いた。これは,最近では,久しぶりの骨のあるいい芝居であった。こういうのを,面白いという。






今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

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posted by Toshi at 05:18| Comment(0) | 舞台 | 更新情報をチェックする
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