2014年10月27日

江戸イメージ


奥野卓司『江戸〈メディア表象〉論』を読む。

江戸文化ないし江戸ブームについて,著者はこう書く。

(テレビ,映画,芝居,漫画,小説,或いは歌舞伎等々)「これらメディア表象に見られる『発明された伝統』と『編集された歴史』(とここではいったん呼んでおこう)によって,今日のイメージとしての『江戸時代』『江戸文化』はつくられ,人々の間にひろがっているのではないだろうか。」

と。そして,

「これらの〈メディア表象〉によってつくられた『現代の日本人の江戸文化イメージ』を,国内外でのフィールドワークやインタビュー調査によって検証するとともに,その時代時代で江戸時代の文書・図絵・史料が意図的に行われてきた変化のありようを比較することによって解読していこうとするものだ。つまり江戸時代の『史料』の検証ではなく,現代社会における文化行為としての『江戸メディア表象』の変化と,それが現代のわれわれの『江戸時代観』にどのように影響しているかを検討してみたいと思っている。」

と,はじめにで述べる。しかし,結論を先にすると,結論ありきで,書き始められており,論証というよりは,繰り返し,同じタームが繰り返され,いささか辟易した。別に学術論文ではないにしろ,まずメディアの種類ごとに,映画,小説,歌舞伎等々の表現する江戸イメージをきちんと示してほしいし,その比較の中から,どう変わったかを,系統だって示してほしい。でなければ,雑駁なエッセイと変わらない。その意味では,前書きの意気込みに比して,少し肩透かしを食らった感じではある。

よく出るタームで言うと,まずは,

「江戸文化」という物語,

である。人生で過去の見え方は,いまの生き方を反映するのと同様,過去の歴史の見方も,いまの日本のありようを反映する。そんなことは当たり前ではないか。しかし,

「江戸文化ブームを語ることは,江戸時代を語ることではなく,現代社会,とくにそのサブカルチャーを語ることに他ならない。」

「時代の『江戸時代』『近世文化』イメージが,その時代のメディアによる部分的な協調やみたくない部分の削除,つまり『伝統の発明』と『歴史の編集』によってつくられてきたためである。」

と語る時,何をそんなに大袈裟に,と言いたくなる。かつての立川文庫の猿飛佐助や真田十勇士,水戸黄門,あるいは時代劇映画の,いや講談のというほうがいいか,遠山の金さんや,大岡越前,清水次郎長を出すまでもなく,あるいは吉川英治の『宮本武蔵』等々,そのときどきの時代が必要とするところから,作り出されたものに過ぎない。それを,ことごとしく,

「それぞれの時代の語り手が,その時代,時代の価値観で,近世の事柄を語っているのだ。」

と言われても,別に当たり前すぎて,何の感慨も浮かばない。

次のタームは,「鎖国」というものへの疑義。そもそも「鎖国」という言葉は,

「江戸時代に存在したわけではなく,日本を訪れた船医のエンゲルベルト・ケンペルが記述した『日本誌』が後に翻訳されて,その中の表現が誤訳されたものである。ケンペル自身は,むしろ日本の外交政策の巧妙さとして肯定的にドイツ語で記述したのだが,それが後(1727年)に英語に訳されたとき『keep it shut』と誤訳された。さらにそれがオランダ語に再度翻訳され,1770年代に日本に入り,1801年(享和元年)になって,元長崎オランダ通詞の志筑忠雄が「鎖国」と誤訳したのである。この誤訳がなされたのが1801年であることからわかるように,江戸時代初期ではない。むしろ日本に対する外国の諸要求が強まってきたとき,それへの防御を正当化するために政治的に誤訳されたものである。」

という。この是非はともかく,本書の趣旨は,鎖国の実態は「海禁政策でしかなく」,長崎,津島,琉球,エゾを通して,大航海時代の世界の情報が入ってきた。したがって,

鎖国が文化を熟成させた

というのは成り立つのか,ということなのである。その狙いは,孤立した「日本」だけが独自に文化を成熟させたというよりは,入ってくる同時代の情報を利用しつつ,作り上げたのではないか,というところに行きつく。

たとえば,京劇と歌舞伎の共通性に着眼し,

「当時の中国本土,琉球,台湾,インドネシア,ベトナム他と,日本との文化伝播・融合の流れを考えれば,歌舞伎と京劇の成立過程において,それらが相互に影響しあいながら,それぞれのスタイルを確立していったと考える方がむしろ自然であろう。さらにこの過程において,歌舞伎では人形浄瑠璃の大きな影響もあった。とすれば,演劇だけではなく,歌舞伎,人形浄瑠璃とアジア各地における人形芝居の流れや民族音楽との絡みも当然考えなければならないはずである。」

それは,次のターム,

当時は大航海時代というグローバリズム

の時代であったということにつながる。たとえば,時計。

「西欧の機械時計は,一日を24時間,一時間を60分と定め,通年で不変なものとして時を刻んでいたが,江戸時代の日本では,昼の長い夏期と短い冬期で時間を調整し,季節に合わせて昼と夜をそれぞれ六等分する不定時法を採用していた。西欧の機械時計が日本に持ち込まれたところ,上方や江戸,名古屋のからくり師たちがこぞってそれを日本の不定時法に利用できるように,さまざまな工夫を凝らし,和時計として改良し実用化した。」

あるいは,カイコの改良の例がある。

「当時農民たちも,稲やカイコがよく育つように,経験的に多様な個体の掛け合わせを繰り返し,新たな品種を数多く生み出していた。そしてその過程で,『養蚕秘録』…などの文書に残されているように,生き物の遺伝に一定の法則性があることを農民が見つけ出していた(当時,西欧においても,メンデルの遺伝法則はまだ確立されていなかった)。」

そういう例があると,「江戸時代の日本は,西欧科学とは異なる,独自の科学技術の発達の道をとっていた」と考えたくなるが,幕府が長崎貿易を統制し,銀の輸出を制約した。銀輸出の対価としての絹糸が日本に入ってこなくなった。その結果,

「絹糸を自国で生産せざるをえなくなった。」

という背景がある。つまり,「閉じてはいなかった」からこそと言いたいようなのである。

しかし,どこに焦点を当てるかで,一つの事実も,違ったように見えてくる。その意味では,江戸時代の何かに焦点を当てるということ自体が,現代の何かを象徴しているのではないか。

「最近では日本の技術の巧みさは,江戸時代の職人から連綿と続く伝統にもとづいているといったことが強引に『論理づけ』られている。その典型が日本の伝統的な技術を応用して建築されたとされる東京スカイツリーの喧伝である。たとえば,伝統的木造建築物である『五重塔』に使われている『心柱』が応用されていると言われる。それは,たしかに当時では優れた技術であったには違いないが,現在の技術からすれば,わざわざ江戸時代の技術に頼らなくても十分高層における風の影響を少なくする構造を設計できたはずだ。」

といい,こう指摘する。

「にもかかわらず,江戸時代の大工の巧みな技をとり入れたということが,さまざまなメディアで一定の説得力をもって語られている。これは,現代の日本の技術が国内外で信頼性を失っていることの逆説的なあらわれである。」

と。これはなかなか卓見ではある。

その意味では,本書の趣旨を,江戸時代のイメージの変遷に,現在のありようを垣間見る,という切り口にしてみた方が,はるかに面白いと,読み終えて初めて気づく。

結論として,著者は,こう書く。

「歴史は『ヒストリー』である以上,人間のつくったストーリー,つまり『物語』である。何が正確な『江戸文化』なのかを延々と論じていても(そうした論争は日常的に行われているが),意味のないことである。つまり,現代社会に生きる私たちの近未来にとって,意味のある『江戸文化』であるかどうかが大切なのだ。今,私たちに課せられているのは,一七世紀,一八世紀のグローバルな『世界』の中での江戸自体の文化を,日本を含む東アジアの観点から相対化していくことだろう。そしてそこから自分の『江戸時代』見出し,自分たちの社会の近未来のあるべき姿を考えることだろう。」

確かに正しい。しかし,ちょっと待って,と言いたくなる。それが本書の最初に,

「現代社会における文化行為としての『江戸メディア表象』の変化と,それが現代のわれわれの『江戸時代観』にどのように影響しているかを検討してみたいと思っている。」

と,狙いを提示していたのではなかったのか。揚げ足取りかもしれないが,一回りして,当初の目的が,これからの課題にすり替わってしまった,という感じである。肩すかしとは,この意味である。

参考文献;
奥野卓司『江戸〈メディア表象〉論』(岩波書店)






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posted by Toshi at 05:50| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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