2014年10月29日

革命


松本健一『「孟子」の革命思想と日本』を読む。

冒頭,象徴的な言葉から入る。

「天皇家に姓がいつからなくなったのか。名字がいつからなくなったのか。ひと言でいえば,天皇家は姓を持たないで,姓をあたえる役なのです。」

その姓がないことと,『孟子』の「易姓革命」つまり,王朝の姓が変わり,国が変わる,との関連をみ,さらに日本には,「革命」と言う言葉でなく,「維新」が使われることとの関連につながる。それは,国のありよう自体を左右する。

『孟子』の思想的核心は,「湯武放伐論」にある。

(斉の宣王問いて曰く)「臣にしてその君を弑す,可ならんや。曰く,仁を賊(そこな)う者之を賊と謂い,義を賊う者之を残と謂う,残の人は,之を一夫と謂う,一夫紂を誅せるを聞けるも,未だ君を弑せるを聞かざるなり。」

つまり,「仁義」の徳のない君主は,「一夫」にすぎず,これを討っても,「君を弑する」ことには当たらない,とするのである。だから,孔子の核心が「仁」なら,『孟子』の核心は,「義」である。その考え方の基本は,

「民を貴しとなし,社稷之に次ぎ,君を軽しとなす。是の故に民に得られて天子となり,天子に得られて諸侯となり,諸侯に得られて大夫となる。諸侯社稷を危うくすれば,則ち[其の君を]変(あらた)めて置(た)つ。犠牲既に成(こ)え,粢盛既に潔(きよ)く,祭祀時を以てす。然くにして旱乾水溢あれば,則ち社稷を変(あらた)めて置(た)つ。」

である。民を第一位に置くから,社稷を危うくするなら,天子をも廃す。社稷も,いけにえを供えても旱魃洪水があれば,社稷すら作り変える,と。

因みに,孔子には,

「子路,君に事えんことを問う。子曰く,欺くこと勿れ,而してこれを犯せ。」

とはある。つまり諌めるところまでである。となると,「易姓革命」を避けるには,

「革命を起こさず,王権の秩序を半永久的に維持するためには,どうしたらよいか。王朝が革命の対象とならないためには,王から姓をなくしていく。」

という発想になる,著者は,天武期の藤原不比等のなしたことではないか,と想定している。

「日本では天皇家,それと同時に,支配者であるところの,大君から天皇になった皇室の人々は姓を持たないけれども,その人々というのは姓を与える役割になる。なぜそういう役割になりうるのかというと,これは天つ神の御子だからだという,神格の位置づけにしていく。日本神話により即していえば,高天原から降ってきた,天つ神の子孫であるという定義になる。」

その意味を担っているのが,

天皇

という名づけである。中国では,天子と皇帝とは分けている。

「天子とは天の声を聞く人(多く女),皇帝とはその声を受け取って地上に政治を行う人ですから,本当は二つの,別の存在なのですね。これを一人にしてしまったのが日本で,天子の天と皇帝の皇の地を合わせて,天皇という字,称号をつくったのです。」

『雨月物語』にも出てくるが,『五雑俎』という本に,

「凡そ中国の経書は皆重価を以て之を購う。独り孟子無しと云う。其の書を携へて往く者有れば,舟輒(すなわ)ち覆溺す。此亦一奇事なり。」

と出ていて,『孟子』だけが,日本に伝わらないという伝説が出来上がっている。というよりも,四書五経という以上,伝わっていたが,排除されてきた。しかし,徳川家康が,自分の天下取りを合理化するのに使ったりしているのを見ると,都合が悪いものは巧みに排除してきたということになる。

この辺りに日本という風土文化の,良くも悪くも,特徴がある。しかし,幕末変動期になると,『孟子』は,吉田松陰をはじめとして,蘇ってくる。松蔭は,『孟子』が,君子が,仁と徳とを持たなかったら,王位を奪ってもいい,諌死もいい,国を去ってもいい,と言ったことに対して,「我ガ国今日ニアリテ論ずベキニハ非ザレドモ」と断って,

「易ト去ルト死スルト此ノ三臣アラバ国家亦信ムベシ」

と全面肯定している。でなければ,

「恐れ乍ら,天朝も幕府・吾藩もいらぬ。只六尺の微軀が入用。」

という心映えにはならない。それは,西郷隆盛の山岡鉄舟を評したという,

「命もいらず,名もいらず,官位も金も入らぬ人は,仕末に困るもの也。此の仕末に困る人ならでは,艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」

という言葉につながる。それは,至誠や義の心映えにつながる。この言葉に続けで,西郷の文章は,『孟子』を引用する。

「孟子に,『天下の廣居に居り,天下の正位に立ち,天下の大道を行ふ。志を得れば民と之に因り,志を得ざれば,独り其道を行ふ。富貴も淫すること能わず,貧賤も移すこと能わず,威武も屈すること能わず』と云ひしは,今仰せられし如きの人物にやと問ひしかば,いかにも其の通り,道に立ちたる人ならでは彼の気象は出ぬなり」

と言っているという。

この「精神(エートス)」は,北一輝へと引き継がれている。

「革命」という言葉を日本は使わず,「維新」と称する。これは,『詩経』に,

「旧邦の周が長くつづしいたのは,その命を『維(こ)れ新た』にしたという言葉が出てくる。」

ところによる。つまり,「古いものや制度を,新たにしていく」,坂本龍馬が,

「今一度せんたくいたし申し候」

と姉に送った手紙の意味になる。しかし,革命(レボリューション)とは言わず,「維新(レストレーション)」というのが,われわれの特徴だが,北一輝は,

「維新革命」

と言い切る。

「維新革命以後の日本は天皇を政治的中心としたる近代的民主国なり」

と。その北が「自分は支那に生まれたら,天子になれたと思うよ」と言ったという。

著者はこう北一輝を評する。

「北の独創性とは,『孟子』の革命思想を利用しながら,『万世一系』神話を形づくった日本も実は中国と同じように朝廷内で宮廷クーデターや王権をめぐっての権力闘争が行われていた,と看破したところでしょう。ただ,日本のばあいは,まず天皇家が姓をなくすことによって易姓革命の可能性を封じたのです。それゆえ,後の覇権者たちは王朝を倒すのではなく,天皇=朝廷をみずからの「権威」として利用するために残しつづけたのです。その,易姓革命を不可能にした日本の支配原理をふまえると,北のばあいも,「天皇ヲ奉ジテ」の軍事クーデターによる『民主革命』方式にならざるをえない,と考えたところに『日本改造法案大綱』の独創性が生まれたわけです。」

今日の中国でも,『孟子』は軽んじられている。しかし,著者は言う。

「欧米や日本から中国には民主主義がないと批判されています。しかし,私の考えでは,民主主義制度がないだけであって,民主思想というのは,二千年前からある。孟子のなかに見事にある。そう考えると,もしかしたら,中国で現体制が倒されるとか,あるいは革命が発動されるときには,また孟子が持ち出されるかもしれないという気がします。」

それは,革命のない国にしてきた日本の尺度では測れない,という気がする。記憶で書くが,確か竹内好(だと思う)が,中国と日本では,時間の感覚が全く違う,と。つまり,あの国は,十年や二十年の単位では測れない,ということだ。多くの日本人が,その点を見誤っている。

参考文献;
松本健一『「孟子」の革命思想と日本』
小林勝人訳注『孟子』(岩波文庫)
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)






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posted by Toshi at 05:13| Comment(0) | 書評 | 更新情報をチェックする
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