2014年11月02日
二次感情
随分昔,REBT(Rational Emotive Behavior Therapy)を学んだ時の,どこかに残っていたのだと思うが,
二次感情
という言葉が,記憶の底からよみがえった。たぶん,
悲しんでいることに対して,恥ずかしいと感ずる,
というような,悲しみという一次感情に対する,感情的反応のことだと思う。だから,
メタ感情
とも言うと,記憶している。で,ネットを調べたら,
感情とは,何が起きているかということを知らせてくれる身体の中の信号です。起きていることに対する最初の反応は,一次感情 (primary emotion) と呼ばれています。これらは,即座に出てくる強い気持ちのことで,この一次感情に加えて,二次感情 (secondary emotion) を経験する可能性もあります。これは,一次感情に対する感情的反応です。別の言い方をすれば,二次感情とは,自分の気持ちについての気持ちです。
とあった。
REBTでは,
感情の決定因は,認知である,
考え方の変更は,感情を整える
と考える。例の,イラショナル・ビリーフ(認知行動療法では自動思考のゆがみ)である。多く,
~でなければならない
とか
~すべきである
とか
~なのは当然である
と思い込んでいる,という類であるが,こういう思考は,ミルトンモデルではないが,遂行部(主語)が欠落して,不当に一般化され,それがおのれを苦しめる。だから,こうした考え方を,
イラショナル・ビリーフ
と呼び,それは,多く,
自分が自分に言い聞かせている,
だから,この思い込みは,変えられる,といういう考え方であった。
まずは,ある不幸な出来事に遭遇したとき,それに対するものの見方を規定し,感情を引き起こす。感情そのものが悪いわけではない。
悲しみ,後悔,不快,欲求不満
は健康なものとされ,
不安,うつ感情,敵意,自己嫌悪,自己憐憫,
は不健康とされるが,一概には言えまい。落ち込んで,自己嫌悪に陥ること自体が悪いわけではない。その自己嫌悪の拠ってきたる認知が,問われる。
しかしだ,例えば,仕事で失敗したとしよう,で,後悔し,自己嫌悪に陥る,それ自体は別にどうということはない。むしろ,失敗しても,へらへらしているようでは,異常である。しかし,
ひとは,失敗してもすぐ立ち直らなければ,不完全な人間である,
と自分で信じている(あるいは,親による刷り込みの)場合,
そういう自分に怒りを感じるかもしれない。情けない,そんなことで,へこたれて,と。
怒りは,多く二次感情,
と言われる。
僕は,この自己完結した,
認知←感情←二次感情,
という閉鎖した自己対話が,嫌いである。あるいは,そういう対話を暴き立てる所業が嫌いである。所詮,閉鎖した自己完結の世界に過ぎない。それが現実に支障を及ぼすほど,うつ状態になるとか,荒れるとかというのでない限り,そういう自己完結した感情は,わずかの時間しか持続しない。
ジル・ボルト・テイラーは,
「わたしは,反応能力を,『感覚系を通って入ってくるあらゆる刺激に対してどう反応するかを選ぶ能力』と定義します。自発的に引き起こされる(感情を司る)大脳辺縁系のプログラムが存在しますが,このプログラムの一つが誘発されて,化学物質が体内に満ちわたり,そして血液からその痕跡が消えるまで,すべてが90秒以内に終わります。」
と言われる。
たとえば,生理的な反応の怒りは90秒まで,それ以降は,それはそれが機能するよう自分が選択し続けている。つまり,思いの(というよりも思い込みの)偏りで,視野が狭窄しており,怒りつづけなければ,思いの秤のバランスが取れなくなっている,ということだ。
われわれは,視野に入ってくるものを見ているのではなく,知識を,思いを見ている。言ってみれば,見たいものしか見ない。だから,その思いで見えたものは,自分にとっては事実なのだ。だから,自己完結している。
だからこそ思うのだ。ある意味で,
メタ・ポジション
が重要には違いない。自分の,かくかくのイラショナルな考えが,屈辱感を感じさせ,それについて僕は怒っているのだな,と認知することは,確か,神田橋條治さんが話しておられた,家庭内暴力をする高校生に,
君が振るバットに手のどこがどんな具合に力が加わると,どんな力が出せるのか,を観察してくるように,
といったような観察課題を出して,治癒に持って行ったというエピソードにつながるに違いないと。
マザー・テレサの言う,
思考に気をつけなさい,それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい,それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい,それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい,それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい,それはいつか運命になるから。
も,出発点は,思いというか,考えというか,認知なのだ。
認知の歪みは,しかし,自己対話では修正できない。REBTでは,6つの原理というのがあり,(ノートに残ったメモによると)
①感情の決定因,それは認知である
②考え方の不足,それが感情を乱す
③考え方の変更,それが感情を整える
④不合理な思考は,それに先立つ多くの要因が考えられる
⑤しかし多くの場合,自身が自己に言い聞かせていることが原因である
⑥思い込みは変えることが可能である
というものなのだが,そのREBTでも,それを直すには,行動療法を取り入れるしかない。つまり習慣化(学習)するまで,身体に覚えさせるしかない。だとすると,
「分かっちゃいるけど,やめられない」
を,たやすく覆せるかどうかは,なかなか,難しいところがある。僕は,結局のところ,
ひろい知見,つまり,見渡す,
パースペクティブの広さ
が鍵だと信じる。無知や狭い料簡では難しいのである。いやはや,
生涯一書生
とは言い得て妙である。
参考文献;
ジル・ボルト・テイラー『奇跡の脳』(新潮文庫)
REBTベーシックコース・テキスト(2006)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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