2014年11月04日

佇む

img078amida.JPG

東京国立博物館の「日本国宝展」

http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1648

に行ってきた。雨だから少しはすいていると思ったのが大甘で,20分待たされた。

展覧会は,

第1章 仏を信じる
第2章 神を信じる
第3章 文学,記録にみる信仰
第4章 多様化する信仰と美
第5章 仏のすがた
正倉院宝物特別出品

の順のはずだが,混雑の都合か,係員に指示された入ったところは,第3章で,混雑する人の後ろから覗き見たり,流れに乗ったりして,人垣が途切れ,ちょっと隙間の出来たところに,その両像があった。一瞬喧噪が掻き消え,二体と僕だけがそこに向き合っている錯覚がした。

立ち尽くしたというと,大袈裟だが,観音菩薩坐像(右)・勢至菩薩坐像(左)を前に,しばし佇んでしまった。

http://www4.ocn.ne.jp/~yamamtso/newpage128.htm

http://kokuhou2014.jp/smartphone/highlight_works20.html

三千院・往生極楽院阿弥陀堂・御本尊阿弥陀三尊坐像の,阿弥陀像の右脇侍,観音菩薩坐像と左脇侍の勢至菩薩坐像が,写真の阿弥陀像の左右に侍して並んでいた。観音菩薩は阿弥陀如来の「慈悲」をあらわす化身とされ,勢至菩薩は「智慧」をあらわす化身とされる,とか。

左右両脇侍は大和座り(正座)をして前かがみになっている。この坐り方自体が珍しいそうである。

「死者を極楽浄土に導くために来迎する阿弥陀如来にしたがう二体の菩薩の,膝を開いて正座し,上体を前かがみにする姿勢には,来迎像にふさわしい前方に向かう動きが感じられます。」

「大和座りの観音菩薩が差し出す「蓮華台」に乗って死者は極楽浄土に向かうと言われます。」

とか。「これに乗せてあげましょう」という声が聞こえたわけではないが,いずれそのうち,と感じたせいなのか,しばし佇んで,動けなかった,というか動く気がしなかった。ふいに,何かに,

打たれた,

という感じであった。もうお呼びが近いのかもしれない。まあ,対象は(伊勢神宮らしいので)違うが,西行の,

何ごとの おはしますかは しらねども かたじけなさになみだこぼるゝ

といった心境であろうか。ちと,西行に失礼か。。。。それにしても,昔三千院を訪ねたときのことはほとんど覚えていないのに。

しかし帰りに買った写真も,ネットで見つけた写真も,そのとき見た二体の持っていた雰囲気(から漂う印象)とは,まったく違う,別物であった。

もうひとつ,出口近くから,流れに逆らって,再度立ち戻って確かめたのが,

玳玻(たいひ)天目

http://bunka.nii.ac.jp/db/SearchDetail.do?heritageId=71152

である。

玳玻盞天目の名は釉調が鼈甲に似ているので付けられている,とある。天目の玳玻盞があり,一名鼈盞(べっさん)とも言われている,とか。玳玻盞の特色であります鼈甲釉は,黒飴釉をかけた上に,ワラ白釉(失透性のワラ灰釉)を斑にふりかけたもので, さながら鼈甲のような釉調である。直で見ると,

パンフレットに載っている大井戸茶碗

http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1648#1

よりは,カタチがいい気がした。まあ,所詮,素人の好みなのかもしれない。

天目の評価は曜変天目や油滴天目など建窯で焼かれた建盞のなかの極上品が最も評価が高く,それらに次ぐものとして見込みに文様のある玳玻盞が珍重されているというが,かつて見た曜変天目

http://www.seikado.or.jp/040201.html

よりは,僕個人はこの方がいいように感じた。これについては,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163135.html

で書いた。

国宝の17%だかが,渡来品らしいが,それは,逆に言うと,中国の書籍が,本国になくて,日本にある,ということがあるらしいのと同様,いかに,中国をはじめとする外国から真摯に学ぼうとしていたか,という軌跡であると同時に,はるばるやってきたものを,筆写したり,大事に保存してきた,という証でもある。多く朝鮮の磁器や陶器には,文禄・慶長の役で,陶磁器だけではなく,陶工すら略取してきたということを思うと,心穏やかではない。たとえば,薩摩焼のようにそうした陶工によって受け継がれてきたものが少なくない。

ところで,「禅機図断簡 智常禅師図」にある,

http://www.seikado.or.jp/collection/painting/003.html

この絵を描いた「因陀羅」は,インドの帰化僧らしいが,中国の史書には,その名がない。題詩の筆者・楚石梵琦は,月江正印と並ぶ元時代の高僧で,正統的な書の系譜に属した能書とされる,と残っているのに。因陀羅の名は,極東の島国の,この絵の中だけに残されている。思えは,東大寺の大仏の開眼法要で,導師はインド人であったと言われている。いまよりはるかに仏教が,国際的であった時代の名残りと言えば言えるのかもしれない。






今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

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posted by Toshi at 04:37| Comment(0) | 展覧会 | 更新情報をチェックする
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