コーチングを受けていて,不意に思い出したことがある。
準備
ということである。
準備は,
ある事をするのに必要な物や態勢を前もってととのえること,
とある。漢字で言うと,
淮
は,水がずっしりと下にたまること
で,「準」は,
十印+淮
で,下にたまって落ち着いた水面を基準として高低を揃える,
ということを示す。だから,
水準器,
という意味があり,
物事を測る目安や尺度(準則),
たいらか(平準)
(水平かどうかを水準器で)はかる(準る),
さらに,
ある基準によって,物事をはかる,
という意味になり,当然そこから,
なぞらえる(準える)
つまり,規準となる事柄に対比してあわせる
とか
ならう(準用)
という意味になる。
では,「備」はというと,右側のつくりは,
矢をぴたりと揃えて要れたえびらを描いた象形文字で,「箙(フク・エビラ)」とも書く。「備」は,
主役の事故を見越して用意のために揃えておくの意の動詞に用い,転じて,
ひとそろい,
そろえて,
の副詞となった,とある。
類推するに,「備(ひとそろい)」を「準(はかる)」ということで,
どこかに基準となるものがあって,それをもとに前もって用意する,
という意味になる。もう少し押し詰めると,
近い将来に備えて,必要なものをあらかじめ整えておく,
ということになる。いずれにしても,そこには,
準える
というニュアンスがある。つまり,水準器があるようなのである。
備えあれば患(うれ)い無し
とはその謂いである。長々,こんなことを書いたのには,意味があって,母が,緩和ケア病棟に移されて暫くして,看護師の方から,いつその日が来てもおかしくないので,
(母の)死の準備をしておくように,
と,アドバイスというか,助言を受けた。具体的には,葬儀の準備ということだ。確かそのとき,
まだ御存命なのに,と思われるでしょうが,事後では,間に合わないことを再三見てきているので,
というニュアンスのことを強調された。心の中に,蟠りというか,忸怩たる思いはあったが,現実的に考えると,頭の中で,漠然とは,どうしようか,と不安を感じていたのは確かなのだ。看護師の方は,それをはっきり言語化してくれた感じがある。で,
近しい家族にあらかじめ連絡をしておくこと(特に疎遠になっている叔父や姪への事前の連絡)
菩提寺の住職に電話して,その予告をしておくこと,
そして,
葬儀の会場探しと,事前の手続きをすること,
をすることにした。別にそこまで看護師がアドバイスしたわけではないが,一番は,葬儀場をどこにするか,であった。
足を考えて,新横浜と決めて,当たりを付けたが,何軒か回って,これぞというところを見つけた。そこで,葬儀にかかわる一切の手続きを事前にし終えた。たぶん,事前にこれをしていなかったら,大慌てで,バタバタと,葬儀社を片っ端から当たっているか,病院内の出入りの業者で,帳尻を合わせていたのではないか,と思う。たぶん,言外には,看護師の口吻に,そんなニュアンスがあった気がする。
後は,ただ葬儀社に電話すると,車が配送され,それを積んで,運ばれるまま,日程に合わせて,どういったらいいか,ベルトコンベアに載せられた状態で,一気に終わった気がする。
いま思うと,その段取りをつけておく時間が,二週間くらいだった気がしているが,ただ,緩和ケアとは名ばかりで(母はそれに欺かれてくれたが),急速に衰え,ただ死を受け入れるだけの日々を,何もすることが出来ず,手を束ねて見守るしかない時々刻々を,暗澹たる気持ちで送っていたに違いない。
しかし準備のために,あれこれ忙しく事務処理をしていくうちに,自分の中で,母の死を,もはや確実なものとして,それを葬儀という顕在化したものに転じていく作業自体が,死を具体的な形で受け入れていくための,
ソフトランディングの時間
だったと,思い至るのである。
葬儀というものを具体的に形にするように設計していく時間が,そのまま心の準備,心構えを造っていく時間にもなっている,と気づくのである。もし,緩和ケア病棟の看護師の方が,そこまで見越してのアドバイスだとしたら,なかなか端倪すべからざるプロフェッショナルということになる。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
中村明『日本語語感の辞典』(岩波書店)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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