2014年11月13日
色眼鏡
色眼鏡とは,
色つきガラスを用いた眼鏡
のことであり,そこから転じて,
先入観
や
感情に支配された観察
という意味になる。しかし,僕は必ずしもマイナスには受け止めていない。
人間の心は,もの見るときのクセで,折り目がつき,皺がつくものである,
とはアインシュタインの言である。アインシュタインは,
常識とは16歳までにわれわれの心に刷り込まれたモノの見方の集合体,
とも言う。同じことは,
われわれは,知っていることを見る,
とゲーテは言った。これを,ノーウッド・R・ハンソンは,
~として見る
と言った。「~として」が色眼鏡に当たる。トーマス・クーンは,それを,
パラダイム
と名づけた。普通に言えば,
既成概念
とか
先入観
となるが,脳の働きから言えば,
機能的固着
である。だから,SF作家のアーサー・C・クラークは,
権威ある科学者が何かが可能と言うとき,それはほとんど正しい。しかし,何かが不可能と言うとき,それは多分間違っている,
と言ったのである。しかし,それは,その人の知識と経験そのものなのである。発想とは,
知識と経験の函数
という。自分の頭の中にないことは使えない。だから,
知っているものとして,
見る。
その例として,認知心理学の教科書に必ず出ているのは,こういうのがある。
天井から2本のロープがぶら下がっており,1本をもつともう1本の紐が届かない距離にぶら下がっています。周囲におかれている椅子とハンマーを使って,2本のロープをつなげられるかどうかを考えさせる。
これを,10分以内に解ける人は39%しかいない。ハンマーの機能,椅子の役割を知識として持っているために,
ハンマー(もちろん椅子でもいいが)をおもり代わりにロープにぶら下げて,振子にして手元に引き寄せる,
ということを思いつくのに,タイムラグがあるのである。しかし,である。振り子の原理を知っていなければ,そのことは絶対に思いつけないのである。つまり,発想は,
知識と経験の函数
だからである。だから,発想力では,
スキル
がよく云々され,いろいろな発想が発案されたが,実は,(それをやっている僕が言うのもなんだが)それはあまり役に立たない。知識と経験の函数ということは,個人が手に入れられる知識と経験には限界があるからである。だから,自己完結した,
発想スキル
よりは,人とのキャッチボールが重要であり,未だに,ブレインストーミングが使われる所以である。しかし,よく聞くのは,ブレインストーミングは,拡散するだけで,何もまとまらない,という指摘だ。
この指摘が勘違いしているのは,ブレインストーミングで,アイデアがまとめられる,というか,アイデアへと収斂できる,と思っていることだ。たぶん,そんなことはオズボーンも言っていない。アイデアを煮詰め,練り込むのは,結局個人の作業になるほかない。ただ,ブレインストーミングで必要なのは,自己完結を破る,つまり,自己撞着する自己対話の視点を変え,別の視点からものを見られるようにする,
刺激
としての機能なのだ。だから,よくやられているように,ミーティングスタイルでブレインストーミングをやっても,当たり前だが,拡散するだけだ。当然だ,ブレインストーミングには,収束の機能は持たされていない。だから,ブレインストーミングは,個を発信点として,放射線状にブレインストーミングするのが,一番効果的なのである。つまり,基本的に,集まる必要はない。
ブレインストーミングの効果は,個が持つ色眼鏡,つまり,
脳の機能的固着
を打ち崩すところにある。ひらめいた瞬間に,
脳の広い範囲が活性化する,
と言われているのが,象徴的である。いつも使い慣れた部位ではないところに刺激を与え,詰まっていた発想に,まったく違うところから光をあて,異質なリンクが生まれること,これこそが,
色眼鏡
が消えた瞬間である。
参考文献;
高沢公信『発想力を鍛える』(産能大)
N・R・アンダーソン『認知心理学概論』(誠信書房)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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