2014年11月19日
伸びしろ
伸びしろは,
伸び代
と書く。「代」は,
くいの形を描いた象形文字,弋(よく)に人を加えたもの,
で,
同じポストに入るべき者が互いに違いに入れ替わること,
という意味になる。そのせいか,
代々(だいだい)
とか
代々(よよ)
といったり,
世代
交代
代理
という使い方をする。「しろ」という意味の使い方は,本来の漢字の字義にはない,わが国のみに通用する「訓義」という。しかし,「代(しろ)」を見ると,
その物の代わりとして償う金銭や物品,「代金」「代価」
というほかに,
何かのために取っておく部分,糊代,縫代,
田または他の一区画,田代,
田地の丈量単位(稲一束を収穫する免責を一代)
とある。僕の持っている『広辞苑』には,
伸びしろ
は出ていない(最新版には載っているらしい)が,その意味は,
①金属などが折り曲げられる際に発生する伸び。また,その長さ。
②転じて,組織や人間が発展・成長してゆく可能性の大きさをいう。
とあって,「伸び代」とあてるらしい。そこから敷衍したのだろうが,
「伸び代の『代(しろ)』は,のり代,縫い代などと同様に,ある用途や作業のための余分に取ってある部分のことをいう。そこから『伸び代』とは,新しい会社や若い人について,発展したり成長したりする余地,可能性を意味している。」
という説明がなされるものがある。しかし,それはおかしい。糊代も,縫代も,あらかじめ予想された余裕,というかハンドルのアソビのようなもので,それも織り込み済みなのであって,
「伸びる余地」
という意味に使うのは,意味が違うのではないか。では,上記の,
「金属などが折り曲げられる際に発生する伸び。また,その長さ。」
は,どうなのか。調べると,
「金属加工では,金属を曲げ加工しました時,局部的に金属が延びます。これを一般的に伸び代,ひき代,曲げ代(いろいろな呼び名があります)と言います。」
という使われ方で,こちらの方が,
「伸び代」
の本来の意味に近いに違いない,という気がしてくる。で,調べると,
「材料としての金属は、曲げやプレスなど力を与えて変形させる加工をした場合に伸びるという性質がある。そのため加工前の材料を切り出す際に、後々の伸びを考慮して若干小さいサイズを用意するということが行われる。その「伸びを考慮する」ことを『伸び代を〜』と表現したようである。
しかし、どういう加工の際に伸びがどれほどかの見極めは経験に負うところが多く、『伸び代が云々』が業界の外の人には正確に伝わっていなかったようである。そのため、『何かすると伸びて余分が』ぐらいのキーワードが変形し、現在の『伸びるために必要な余分』という意味になってしまったらしい。」(http://muzinagiku.exblog.jp/17707635/)
とあって,ようやく納得がいった。本来,「期待値」という意味ではなく,どう伸び代を読んでサイズを用意するか,という作業員のノウハウにわたる部分だったのだろう。
本来は,たとえば,こんなふうに使われている。
「曲げ加工後の曲げ角にはR形状が形成され,その結果,材料に伸びが発生します。曲げ加工前の展開長から曲げ加工後の仕上がり寸法A,Bを引いた値を「両伸び」といい,その両伸びの1/2の値を片伸びといいます。伸びしろは,材料属性(板厚・材料定数など),金型属性(ダイV 幅・ダイ肩R・パンチ先端R),加工属性(ボトミング・コイニング)に影響を受けます。」
で,ここから言うと,「伸び代」というのは,
将来性とかポテンシャル
という意味ではなく,
「あると嬉しいもの」ではなく,「あることを読む必要のある職人的な勘が求められ,要求されるもの」
なのである。当然,類語として挙げられる(ネットでも類語として挙げられていた),
期待値,成長の余地,潜在能力,隠れた能力,
等々という意味を本来持っていたものではないのである。
むしろ,その意味で言うなら,注目したいのは,医学の現場で使われているらしい,
予備能
という言葉である。これは,
脳や臓器の機能の予備能力,
を指すらしい。手術などに耐えられるかとか,部分切除した残りの臓器が機能を果たせるか,といった意味で使われ,こちらのほうが,ポテンシャルの意味で使われる,「伸びしろ」に近いのかもしれない。
では,伸びしろに,「代」を当てるのはどうかというと,「代」が,
何かのためのあらかじめとっておく,
という意味からすると,金属の延びる部分をあらかじめ読んでおく,という意味での,
伸び代
なら,それでいいが,
伸びる余地
とか
ポテンシャル
の意味では,
「何かのために取っておく部分」としての糊代の意味とも,縫代の意味ともフィットしないのだから,
「代」
の字を当てては,的外れになるのではないか。不遜ながら,では,「しろ」に当てられる字は,というと,
「素」
「白」
の字がある。
素
とは,「しろ」であり「もと」であり,「はじめ」である。意味としては,
撚糸にする前の基の繊維,蚕から引き出した絹の原糸
とか,
模様や染色を加えない生地のままの,白い布
等々,下地とか地のままとか生地とか元素といった意味合いが強い。このことは,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/401709935.html
で触れたが,『論語』の,
絵の事は素(しろ)きを後にす,
でいう「素」である。これは,古注では,
絵とは文(あや),つまり模様を刺繍することで,すべて五彩の色糸をぬいとりした最後にその色の境に白糸で縁取ると,五彩の模様がはっきりと浮き出す,
と解すると,貝塚茂樹注にはある。しかし新注では,
絵の事は素(しろ)より後にす,
と読み,絵は白い素地の上に様々の絵の具で彩色する,そのように人間生活も生来の美質の上に礼等の教養を加えることによって完成する,と解するらしい。
どちらも,「白」に通ずる。白は,
どんぐりの形状を描いた象形文字。下の部分は実の台座,上半は,その実。柏科の木の実の白い中味を示す,
という。その意味では,
なにもない
という意味,
何色にもそまっていない,
という意味の「白」からすると,
伸び代
より,
伸び白
と書きたい気がしてならない。で,ときどき勝手に,そう当て字しているのだが。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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