つい,問題解決に走る。
かつて,カウンセリングを学んでいたおり,旦那は,奥さんの話を聞いて,「それはな,」と,つい解決策を口走ってしまい,「人の話を聴かない」と嘆かれる,という逸話を本人から,聞かされた。同じころ,本だったか,話だったかで,入院しているご主人への対応について,毎日毎日,何がしかのクレームを言い,どんな対応をしても文句を言われる,というので,ナースセンターでは,クレーマーとして知られていたご婦人が,あるとき,担当医に,そのことをまくし立てた。ずっと聴いていた担当医は,一言,「奥さんも大変ですね」と,返した瞬間,泣き崩れた,というエピソードも,話を聴く,ということについての基本中の基本なのだと,まあ,さんざん聞かされたはずであった。
しかし,日々の生活は,いやいや仕事自体が,問題解決の連続である。
どう問題解決するかに頭がいっぱいになっている。しかし,その問題解決モードは,カウンセリングでもコーチングでも,いい評価は得ない。ソリューション・フォーカスト・アプローチも,問題解決ではない。
問題解決については,前にも書いたような気がするが,
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod09.htm
さんざん考えた。とくに,最後は,
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod09600.htm
に落ち着いた。要は,
何が問題か,
ではなく,
どうなったら問題解決(目標実現・目標達成)したことになるか,
ということに焦点を当てる,ということに気づいた。そして,もっと大事なことは,
それを解決(実現・達成)することで何を得たいのか,
という目的によって,改めて,
どうなったら解決(実現・達成)したことになるか,
を考える,ということを重視したはずであった。たとえば,
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod06203.htm
で考えたように,
それが手に入ることにどんな意味があるか,
それは人生においてどんな意味があるか,
それを手に入れることはどんな価値があることなのか,
ということに対比して,解決(実現・達成)したいことを,CTI流にいうなら,
大きな主題
の方へ持って行く必要がある,と。
しかし,どうしても,現実場面では,目的対応の現実的な解決状態を意識しがちである。
本当はどうしたいのか,
と問いながら,解決(実現・達成)できるレベルを無意識で模索していたりする。
問題解決を放棄する,
というか,
解決しようとするマインドを手ばなす
という姿勢もあるのかもしれないが,どうもそういうのは,僕の生き方ではない。そういう不自然な姿勢は,窮屈にする。で,思う。それなら,
本当に解決(実現・達成)するというのは,どういうことか,
という,「本当に」という部分を,徹底するというやり方なのではないか。それは,
生き方に叶う
のかもしれないし,
価値そのものに沿う
ことなのかもしれないし,
とりあえず次のステップにつなげるため
なのかもしれない。解決(実現・達成)は,いつも,連続していく。解決したら,それで終わりということには,決してならない。
真のクリエイティブというのは,
問いに答える
ことではなく,
答えられない問いを立てる
ことだとすれば,
どうなったら解決(実現・達成)したことになるのか,
という問いは,その場で簡単に答の出るような
解決状態
ではなく,問い自体を,生きつづけるような,そういう問いであっていい。
どうも簡単に答を出す癖が抜けない。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
ラベル:問題解決
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