2014年12月02日

内の声


少し前にのことになるが,川本恵さんの「ミーディアム」に参加させていただいた。

内の声に耳をかたむける,

という言葉が耳に残った。ついつい周囲の雑音に左右されて,右往左往するおのれへの戒めである。

内なる声とは,天の声である。それは,何度も触れたが,

死生命有
富貴天に在り(『論語』)

である。ここでいう,天には,「生き死にの定め」「天の与えた運命」の二つがある。

そう,天命が定められているなら,齷齪あがく必要はない,内に聞こえる天の声を承けて,

おのれのなすべきこと

を果たせばよい。

これも,前に書いたが,天命には,三つの意味があり,一つは,天の与えた使命,

五十にして天命を知る

である。いまひとつは,天寿と言う場合のように,「死生命有」の寿命である。

そして,いまひとつ,

彼を是とし又此れを非とすれば,是非一方に偏す
姑(しばら)く是非の心を置け,心虚なれば即ち天を見る(横井小楠)

で言う天は,「天理」のことだ。だから,神田橋條治氏流に,逆に言うと,

天命を信じて人事を尽くす

となる。

迷った時,何を聞くか,心の声であり,天の声だ。天の声は,天理に通じ,天命に従う。

心虚なれば即ち天を見る

とは,「虚心見理」である。

このとき,自分を離れ,虚心に,天に耳を傾ける。

これを天に照らす

ともいう。ここには,天理にかなうはずという,自らへの確信である。それは,占いではない。おのれが訊いた声を信じて振る舞いを決めるということだ。だからここには,主体的な意味があるはずである。

それを,おのれの内にとどめてしまえば,単なる自足であり,執着になる。

虚心とは,

心に何のわだかまりもないこと

という。たぶん,虚心に内なる声を聴くとき,

坦懐,

つまり,心たいらか,胸にわだかまりない状態でなくてはならない。心に鬱屈をかかえて,平らかになるはずはない。

「坦」は,

起伏なしに平らかに延びる,
とか
感情の起伏がない,

という意味である。

「旦」は,

「日+__(地平線)」の意で,

太陽が地上に顔を出すさま,

となる。「懐」の,右側のつくりは,

涙を衣で囲んで隠すさま,
懐に入れて囲む,

といった意味で,それに「忄」つまり,「心」を加えて,

胸中やふところに入れて囲む,
中に囲んで大切に温める気持ち,

を表す。そういう意味では,心の鬱屈が解き放たれてのびやかになった状態を表すと言っていい。

おそらく,それを待つのではない。心に鬱屈のない日などは数えるほどしかない。そうではなく,

ただ,天地に連なって立つ(在る)

状態になることで,あるいは,そういう状態をつくることで,心が,開かれる。それが,

確信

である。だから,主体的なのである。そこに,天と心をつなぐ回路が通じる。

虚心坦懐,

とは,グランディングそのものの心境である。





今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

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posted by Toshi at 05:59| Comment(0) | ミーディアム | 更新情報をチェックする
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