2014年12月03日

謝る


ごめんなさい,

申し訳ない,

というのが,詫びるときの普通の言い方だ。

「すいません」というのもあるが,これは,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/398895440.html

にも書いたように,「済まない」ことを済ませよう(済ませてもらおう)とする,何となく曖昧な(心理的な)逃げがあって,本当の詫びとは思えないところがあるように,僕は感じる。

「済みません」は,

相手に悪く,自分の気持ちが片付かない。申しわけない。謝罪や依頼の時にいう

という説があるが,僕は取らない。謝る意思があるなら,

御免なさい,

か,感謝なら,

ありがとう(ございます),

であり,どこかニュートラルな(心理的な)逃げの表現に思えてならない。あるところで,

「ごめんなさい」という言葉は「許してください」というニュアンスで,自分が悪いことをしたときの言葉,

で,

「すみません」というのは,自分が悪いことをしたのではないという感じで,単純な間違いで特に誰かに迷惑をかけたわけではない場合,不可抗力,

という感じが言語化されているとあったが,その通りだろう。

ごめんなさい

過ち,非礼をわびる
他家を訪問,辞去するときに言う

と,辞書にはある。

御免は,元来,

「御+免」

で,「免ずる」の尊敬語。「お許しを」の尊敬語でもある。つまり,「御免」は,

相手が正式な許可や認可を下すことを敬った言い方,

である。ということは,許すか許さないかの決定権は,相手にある。だから,ごめんなさい(御免なさい)は,

自分の罪を認めて相手に許しを乞う謝罪の言葉,

であり,「御免」+なさいで,許す主体を敬っている。そのためか,鎌倉時代や室町初期から初見があるらしいが,

御免あれ
とか
御免候へ

と,自分を下げるか,相手を上げるか,の使い方がもともとある。だから,家をおとなうとき,

御免ください,

というのは,家へ入ることを断っている,ということになる。これに似ているのは,

失礼します,

である。ただ,日本語のニュアンスとして,「御免」には,

勘弁してください,

という意味合いなので,

「狭い道路で相手の車と擦った程度の場合には使えても,停車中の車に激しく追突したり,相手に及ぶ被害や迷惑の度合いが大きくなるにつれて使いにくくなる」

「第一原因が自分以外にあるような逃げの謝罪という印象がある」

という説が,『語感の辞典』にはあり,微妙なニュアンス差がある。

一方,申し訳ないは,

相手にすまない気持ちで,弁解のしようがない。たいへんすまない。相手にわびるとき,

に使う。この場合,

申し訳のしようもありません,

というニュアンスがある。つまり,

申し開きのしようがない,
とか
弁解の余地がない,
とか
一切の責任はこちらにあります,

という意味で,「ごめんなさい」や「済みません」よりはるかに謝罪の程度が大きい。逆に言うと,単純な名前の読み違え程度で,これを使うと大袈裟すぎて,慇懃無礼になる恐れもある。

しかし,この辺りは,相手との関係をどう自分が認識しているか,をそのまま表していて,一般論で当てはめるのは危険である。このほかに,謝罪には,

堪忍してください,
遺憾に思います,
御気の毒に存じます,
お詫びいたします,
心苦しく思います,
恐縮です,

等々がある。たとえば,「堪忍」の主体は,相手であり,御免に較べると,上下関係の錘の差はないのではないか。「勘弁してください」に近い。他の,詫び方は,たとえば,

「遺憾」に思っている自分をメタ化して,そういう気持ちです,と言っている。
「御気の毒」に思っている自分の同情心をメタ化して,そういう気持であることを伝えようとしている。
「お詫び」の気持ちをメタ化して,そういう気持ちを伝えようとしている。
「心苦しい」という気持ちをメタ化し,その気持ちである自分の心情を伝えようとしている。
「恐縮」という「身を縮めている」じぶをるメタ化して,そういう状態ですと伝えようとしている。

等々と,少し,自分に距離を置いている,という意味では,本当の意味で「謝罪」する主体ではない,というニュアンスがある気がする。「失礼しました」も,これに入る(「失礼」した自分を対象化し,そういう自分であったことを伝えようとしている)。

といった具合で,こういう表現を拾っていくと,謝る主体の微妙な立ち位置が透けて見えてくる,日本語の微妙な儀礼が隠されている。

かつて「書札礼」というのがあり,書簡を出すときの礼法が厳しく定められており,差出人と宛所の書き方などの書式や文面,字配り,文字の崩し方,紙の種類や折り方,封書の方法など文書全般に関わる礼法があり,それを見ただけで位置関係が分かった,という。「書札礼」ほどのことはないが,身分差を背景とした,ものの言いようの名残りが,まだまだ残っている。不思議なことに,その体感覚が,ある世代までは,残っていたようである。

だが,いまは,それが消えているような気がする。単に礼儀の有無というだけのものではないのかもしれないが,少なくともその振る舞いの背景に親(の振る舞い)が透けて見えるのかもしれない。僕のようながさつでお行儀の悪い奴が言うのもなんだが,躾は怖い。

参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
中村明『日本語語感の辞典』(岩波書店)







今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

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posted by Toshi at 05:14| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする
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