2014年12月05日
凹む
凹むとか落ち込むということは,間々ある。その度に,たとえば,「凹む」について,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163424.html
あるいは,「落ち込む」について,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163576.html
等々と書くことで,自分の底から立ち上がる。あるいは,それを対象として描こうとした時は,立ち直っているのかもしれない。強靭な精神の持ち主がうらやましい。
凹むというのは,
「ヘ(減)+コム(籠む)」
というのと,
「引+込むの音韻変化」(ヒッコム→ヘッコム→ヘコム)
というのが,語源としてあるらしい。
「落ち込む」は,
「落ち+込む」
で,「穴に落ち込む」の意味から来ている。一種,見立てというか,メタファというか,アナロジーである。
心が,あるいは気分が穴に落ちている状態である。
めげる
とか
気が塞ぐ
とか
意気消沈
といった心理状態である。
あるところで,
「落ち込んでいる人の原因は,次の2つのみです。
存在
能力
この2つのどちらかです。」
と断言していた。断言されると,
そうかな,
と思うが,しかし違うのではないか。
能力
や
存在
等々という大層な問題でもないのに,些細な振る舞いや,しくじりで,おのれのありようや能力に起因させてしまっているから,落ち込みがひどくなるのではないか。
「いまは」
「そのときは」
「(もう少し)努力(工夫あるいは配慮等々)すれば」
を付けると,できないことは,「能力」そのものではないし,「存在」そのもののせいではない,と気づく。
たまたま
を
そもそも
としてしまう一般化の癖を,たしかミルトンモデルにあったような気がする。そう,
いつでも,
そもそも,
とおのれを責める方が,あるところでは,楽なのかもしれない。だから,そういう原因帰属を選択して,落ち込む。しかし,そのおのれと決別するのであれば,どこかで,立ち直らなくてはならない。それは,振る舞いや言動という,限定された部分に特化しなくては,浮かび上がるきっかけがつかめない。
だから,実は,分かっている。
そもそも
であるかどうか,
いつでも
であるかどうか,
は,わからないにしても,結局,
具体的なアクション
によってしか,穴からは出られないのだということを。しかし,
悔しいから,
あるいは,
自罰
として,
あるいは,
一時避難
として,
凹んだり,
落ち込んり,
という心理的牢獄に,ちょっとの間,おのれを閉じ込めてみたいだけなのである。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください