2014年12月09日
屏風
報美社15周年特別記念能「猩々」に伺った。
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能を因数分解するように,バックの囃子,装束,シテの構えと運び,舞等々,能の基本をおさらいして,最後に『猩々』を拝見した。
面白かったのは,能独特の構え,腰を落として,少し前傾した格好,前と後ろと緊張したような構え,あるところでは,こんな説明があった。
「腰と背骨と首筋を素直にまっすぐ伸ばす。ただし筋肉を突っ張るのではない。その姿勢のまま,体を前に傾ける。そのとき爪先に重心が移らないように,かかとを強く踏みしめる。」
かかとを強く踏み締める,というのは,剣術家のよく言うことで,『五輪書』にも,
「爪先を少し浮かして,かかとを強く踏むようにする。」
とある。そして,すり足である。
「右動,上下動をすることなく,重い車を押し進めるように,安定した姿勢で歩行」
するのだという。『五輪書』にも,飛び足,浮き足,堅く踏みつける足,はタブーとある。柳生の『兵法家伝書』にも,
「平常のようにするするとさりげない歩み」
とあるが,それがこれを指しているのだろうと想像する。揺るぎない,安定した静かな立ち居振る舞いは,柳生石舟斎との強い関係が言われる所以である。
面白いのは,後の懇親会で,笛を担当された方に確かめたのだが,囃子の,笛,大鼓,小鼓,太鼓は,相互で,声を掛けあい,その声のかけ方で,お互いに会話して調整し合っているのだ,ということだ。まるで,
フリージャズですね,
と申し上げたら,よくそう言われる,とおっしゃった。能は,結構決まりごとががっしりして,それをただ踏襲するのだと思っていたが,大枠は外せないにしても,野外でやるとき,狭い場所でやるとき,等々場所に応じて,足運びは随時減るし,舞の回り方も小さくなる。同時に,囃子の方々は,そのときどきで別々の人とセッションをくむことになり,事前には,会話で簡単な打ち合わせだけで,ぶっつけ本番のこともあるらしく,まさに,演じながら,調整していくのだという。それは,
シテ
と
謡
と
囃子
とで,会話しつつ,演じ上げていく,というものらしい。そこは,うかがったかぎりで思うのだが,ひょっとすると,その組み合わせ,つまり,
シテ
と
謡
と
囃子のそれぞれ
が,そのときの組み合った方々次第で,その舞台を作り上げていく部分がある,ということであった。
いまひとつ,舞台の前には,竹の柱が一対立ててあった。柱といっても,2メートルくらいの竹を台に立ててあるだけなのだが,僕は,能舞台には柱が四本立っているので,
http://www.kuraki-noh.jp/images/outline_img/photo_intro01_2.jpg
その象徴なのか,とおもって,解説をされた大島輝久さんにお尋ねしたところ,
観客と舞台との結界,
という意味もあるが,この先は舞台の端という目印でもある,という。面をかぶっていると,視界が限られ,聞くところでは,舞台から落ちるということもなくはないらしい,その意味で実利的な,断崖注意といったニュアンスがある,ということらしい。これも,伺ってみるとなかなか面白い。能は,決して中断できないらしく,その意味で,当然その補佐(何と呼ぶか知らないが)役がいらっしゃるようだが,リスクヘッジでもあるのだろう。
ところで,この日面白いと思ったのは,屏風である。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=745263952223563&set=a.488373337912627.1073741840.100002198940716&type=1&theater
日本画家アラン・ウエストさんが,この日の演目『猩々』に合わせて描かれた屏風絵らしいのだが,絵の是非は僕にはわからないが,この屏風ひとつで,この場の雰囲気ががらりと変わることだ。
元来,屏風も衝立も,
中国から日本に伝えられたたもので,飛鳥時代当時の屏風は,衝立の形態
であったといわれるほとで,その差はなかったようだが,衝立が,
「パーティション(間仕切り)用家具の一種。襖障子・板障子・組子などといった障壁に使える物に台脚を取り付けることで自立する調度品に仕立てたもので,屋内にて,間仕切り,目隠し,風除け,装飾性・芸術性などを目的に用いられる」
と説明があるように,実用品化していったのに対して,屏風は,
「部屋の仕切りや装飾に用いる家具のこと。小さなふすまのようなものを数枚つなぎ合わせて,折りたためるようにしてある。『風を屏(ふせ)ぐ』という言葉に由来する。」
ところから,
「歴史は古く,中国の漢時代には,すでに風よけの道具として存在していた。魏,晋,南北朝時代には,王族の贅沢な装飾品へと変化していった。」
とあり,屏風絵そのものが,一つの表現スタイルへと移っていき,
「屏風絵は古代から近世にかけて,唐絵や,日本画でも大和絵,水墨画,文人画など多くの屏風絵が描かれた。また安土桃山時代から江戸時代にかけて城郭には必ずといっていいほど屏風が置かれ,それによって屏風絵は芸術としてその地位を高めていった。」
と,ちょっと見,両者の差が開いたような感じだか,僕には,日本化する中で,ともに,別の分野で,
見立て
の一種になった気がする。衝立は,あくまで,仕切りがあるという見立てに過ぎないが,それでも,それがあるのとないのとでは,心理的に微妙に違う。
屏風は,場の雰囲気そのものを作っていくように見える。コンクリート壁の前に,屏風が開かれていることで,舞台の雰囲気に変わる。よく,結婚式で金屏風があるのも,そういう雰囲気づくりの一つだろう。
それも,見立てである。
思えば,能自体が,見立てで成り立っている,といえなくもない。竹の柱も,橋掛り(今回は簡単な竹の手すりが取り付けられていた)も,そう見える。面そのものもまた見立てである。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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