2014年12月11日
寄席
先日,時間が明いたので,珍しく寄席に出かけた。上野鈴本演芸場で,終わりまで,ずっと聴かせていただいた。途中から入ることが多いので,前座から,通して,昼の部を聴き通すというのは,実は初体験。はじめは十人もいなかった,それが少しは増えたが,さすが,平日の昼間,そうそう暇人はいないようである。倍になったかならないか,演者の誰かか,
前に詰めると,二列で収まる,
と笑わせたが,まあ,そんな感じであった。とりをつとめるのが,柳家さん生師匠ということもあって,元町での用事を済ませて,時間がまだあると思って,上野の森をゆっくり抜けてくると,ちょうど始まる,とチケット売り場の人に誘われた。
とりのさん生師匠の「パチパチ」まで,通しで聴いてみると,何に喩えていいか,
幕の内弁当
というか,
松花堂弁当
といった感じである。両者は,
幕の内弁当が本膳料理の流れを汲む江戸時代に遡るものであるのに対し,松花堂弁当は懐石料理(茶料理)の流れを汲み昭和になってから誕生した様式,
という。両者,形式は違うが,松花堂弁当は,
中に十字形の仕切りがあり,縁の高いかぶせ蓋のある弁当箱を用いた弁当。仕切りの有無はあるが,焼き物,煮物,飯などを見栄え良く配置する。盛り分様式としては,ごはんと数種類のおかずを組み合わせたもの,
である。幕の内弁当は,
弁当は,芝居の幕間・幕の内に観客が食べるものなので,いつしか「幕の内弁当」と呼ばれたという説。
幕の内側で役者が食べるからとする説
幕間の時間を利用して役者が食べたことに由来する説
相撲取りの小結が幕の内力士であることから「小さなおむすび」の入っている弁当を幕の内弁当と呼ぶという説。
江戸芳町の「万久(まく)」が売り出していたことに由来する説。
相撲の観客に対しても相撲茶屋が同様の弁当を供し,相撲の世界にも幕の内という言葉が持ち込まれたという説。
等々,芝居や相撲に由来するから,喩えるとすると,松花堂よりは幕の内かもしれないが,まさに,寄席を通しで聴くと,そんな印象なのである。この流れについては,つまりプログラム編成とでもいうべきものなのか,かなりいろいろ考えがあって決められているのではないか,と思う。あるホームページには,
「寄席で行なわれるのは落語だけではありません。講談,漫才,漫談,音曲,手品,曲芸など,バラエティーに富んだ番組(プログラム)になっているのです。前座の落語から始まり,漫才や手品などの色物と呼ばれる演芸と,二ツ目の落語がテンポよく進んでいき,最後に真打ちが登場します。」
とある。寄席の歴史を見ると,ウィキペディアには,
講談が一番古い歴史を持つ。明治・大正期までは,落語以外の講談や浪曲や色物など各分野それぞれの寄席が存在し,寄席の数が激減していく中で,東京では落語を主にかける寄席のみが比較的多く残った。落語(講談・浪曲)以外の演目は色物と呼んで区別する。最後の演目は基本的に落語であり,その演者は主任(トリ)と呼ばれ,その名前は寄席の看板でも一番太く大きな文字で飾られる。
歴史が長く,今もおなじみの色物演目には,音曲・物まね(声色遣い)・太神楽・曲独楽・手品・紙切り・(大正時代からの)漫談・腹話術などがあり,多くは大道芸として野天やヒラキと呼ばれるよしず張りの粗末な小屋から始まり,寄席芸に転化していった。
とあるように,どうも,最終的に残った落語の小屋に,大道芸的なものが,収容されていったという印象である。曲芸や奇術,紙切り,ものまねは,いかにも大道芸的に見えなくもない。
この日も,落語に始まり,
奇術,落語,落語,漫才,落語,落語,ギター漫談,落語,漫才,落語,落語,曲芸,落語,
と,ちょうど落語というパンに,色物を挟んだサンドイッチという感じだが,どれだけ色物が楽しくても,落語次第で,全体の印象が変ってしまう。この日は,珍しく,(順不同で,記憶をたどって)
初天神,道具屋,甲府い,黄金の大福,目薬,野ざらし,時そば,
と古典が続き,最後,さん生師匠の新作落語『パチパチ』(金津泰輔氏のオリジナル作品)という,いま風の人情話で締めくくられた。これは,二度目だが,一度目より,展開の小説風な場面展開と視点切り替え,現と幻の交錯のようなラストと,全体像がよりクリアに見えた気がした。
こんな記述がある。
「寄席が落語と切り離せないのは,落語家にとって寄席が修行の場であり芸を磨く唯一無二の舞台とされること,観客も贔屓の演者の成長と演者ごとの演出の違いを楽しむという点にあり,「完成品」を見せるホール落語と違い寄席落語には『未完成』なりの面白さ,真剣さがあるとされる」(新宿末廣亭初代席亭の北村銀太郎の発言より)。
そう言われてみれば,独演会で聴いた噺もあるが,寄席の流れの中で聴くと,その巧拙もわかる。噺家それぞれの個性もわかる。いやいやそうに出てきて,観客の少なさを嘆き,頭割りして,幾らになるか,と実に現実味のある繰り言をまくらで言ってから,いきなり,噺の世界に入ったが,その展開のうまさと変わり身の早さに驚いたり,相撲取りのような恰幅(本当に元相撲取りらしい)で,人情話を始められて,視覚と聴覚のギャップに悩まされているうちに,さすが,知らぬ間に話のなかに引き込まれたり,と噺家の個性が,競い合うのは,寄席以外にはないのかもしれない。
それにしても,最近女性(女流というべきか)噺家の多いこと。今回の前座もそうだったし,途中で,めくりや座布団を整えるのは,女性の噺家(のたまご)であった。思うのだが,ガテン系の仕事,土木・建築・ドライバー・メカニック・調理師等々に女性が増えた。ダンプや建築機器,バス等々のドライバーもこの数年目立つようになった。日本エレキテル連合もそうだが,漫才は,ずいぶん昔からそうだし,芸人には多い。性差は関係ない世界だからだろうか。
ただ,いつだったか,女性噺家が,郭噺をしていたが,ちょっと聴いているこちらのほうが照れる。落語は,男の世界を語ってきたからだろう。
今回の前座で,「初天神」のような父子関係のようなものには,ピタリ来る。こっちの先入観のせいかもしれないが,女性ならではのネタ,とりわけ新作が必要なのかもしれない。「パチパチ」のようなのは,似合うネタかも知れない(さん生師匠,ごめんなさい)。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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