2014年12月15日
萎える
「萎える」は,
草木がぐったりして,しおれる
という意味から,たぶん,転じて,
病み衰える
とか
ぐったりする
となったと思われる。
「萎」の,「委」は,
しなやかにまるく曲がったさま
で,
艸+委
は,草木がしおれて,しんなりまるく曲がって垂れる,意となる。
疒+委
で,痿(なえる)は,手足がぐったり垂れる,意。
イ(ひと)+委
で,倭
で,セガまるく曲がって背の低い人,の意。「倭人」と呼ばれた「魏志倭人伝」のわれわれの祖先は,背が低かったのだと想像がつく。表意文字はわかりやすい。
因みに,「彫」の字もなえる,と読む。
ほる,という意味だが,しぼむ,なえる,とも読む。
「周」は,田の中一面に作物の実ったことを示す。稠密の「稠(びっしり)」の原字らしい。
彡(もよう)+周,
は,器物の表面全体にびっしりと模様を付けること,で,ここからは「なえる」意味は出てこない。ただ,用法で,
「凋」に当てて,「凋落」を「彫落」と使ったところから,転じたらしい。
「凋」は,
しぼむ
という意味で,もともと,
ピンと張っていた葉が,寒さに打たれてしぼみ,だらりとたれる,あるいは,生気を失って衰える,しおたれる,意。
冫(こおり)+周
で,だらりと垂れさがる意。針を失ってしぼみたれる,意。「周」は音を示すだけで,原義とは関係がらい,という。
音を当てただけで,意味が転ずるというところが,元の漢字自体は表意でありながら,わかりにくいと同時に,面白いところなのかもしれない。
ただ,萎えるというとき,外見のそれを指していない。つまり,心が萎えることだ。それは,たぶん,絶望ではない。萎えるのは,無力感からに違いない。
めげる,というと,気が弱る,怯む,という感じだし,
凹むについては,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/410104152.html
で触れたが,凹むのは,鑓込められて,屈する,という感じだし,
落ち込む,というと,悪い状態にはまっている,という感じになる。
諦める,というのは,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/402518255.html
で触れたように,断念する,悪い状態を受け入れる,という感じになる。
近いのは,心が折れる,で,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/398404438.html
で書いたように,の気力を萎えさせ,奮い立つ気持ちを萎えさせる,と言った挫折感に近い。
しかし,萎えるというのは,気力とか奮い立つということとは似つかわしくない。まして挫折感とはちょっとっ違う気がする。萎えるには,外見の,
ぐったりしたとか,しおれる,
と同時に,内面のしおたれた状態であり,それは,外圧とか外力とかではなく,自滅というか,自分の思いや屈託で,押し潰されている,という情けない状態といっていい。
へなへなとくずおれた感じだろうか。あるいは,
萎縮
に似ているが,この場合,外の力に圧倒されて縮む感じて,少し違う。自力で,というのも変だが,自力が失せて,崩れ,縮む感じなのである。
しなびる(「萎びる」と書くが)
しおれる(「萎れる」と書くが)
が近い。
へたり込む
というのも近い。他力や相手,状況とは関係なく,
自分の力の限界
というものにぶつかって,おのれを知る,と同時に,その場にへたり込む,という感じか。
だから絶望感ではないのだ。絶望感というのは,希望が絶えた感じだが,そうではなく,無力感なのだ。希望や絶望とは次元が違う。
自力で立っていられない時の,希望や絶望とは別の,喪失感である。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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