2014年12月26日
官僚
矢部宏治『日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか』を読む。
沖縄の地上面積の18%が米軍基地であるが,上空は,100%支配されている,
という。しかし,それを沖縄だけのことと思っては大間違いである。実は,日米地位協定によれば,
「日本国の当局は,…所在地のいかんを問わず合衆国の財産について,捜索,差し押さえ,または検証を行なう権利を行使しない。」
つまり,場所がどこでも,米軍基地の内外を問わず,日本中,「アメリカ政府の財産がある場所」は,一瞬にして治外法権エリアになる,ということを意味している。墜落した飛行機の機体,破片,総てはアメリカ政府の財産と見なされ,警察も消防も手出しできない。
これは,独立を回復し,安保条約が改定された以降も,引き続き維持され,
「占領軍」が「在日米軍」と看板を掛け替えただけ,
の状態が続いている。そもそも,日米地位協定と国連軍地位協定の実施にともなう航空法の特例に関する法律第三項には,
「前項の航空機(米軍機と国連軍機)およびその航空機に乗り組んでその運航に従事する者については,航空法第六章の規定は,政令で定めるものをのぞき,適用しない」
とある。「最低高度」や「制限速度」「飛行禁止区域」を定めた航空機の運航に関わる規定が,まるごと適用除外になっている。つまり,米軍機は,日本国中どこをどう飛んでもいいのである。
しかも,最高裁は,砂川事件判決で,
「米軍は日本政府が直接指揮をとることのできない『第三者』だから,日本政府に対してその飛行差し止めを求めることは出来ない。」
「日米安保条約のような高度な政治的問題については,最高裁は憲法判断をしない。」
という(いわゆる「統治行為論」という)判決を出し,日本国内では,憲法よりも,安保法が,つまり米軍の行動が優先される,つまり,憲法の適用除外とされたに等しいのである。これ以降,総ての騒音訴訟は,
「米軍機の飛行差し止めは出来ない」
という判決が続くことになる。日本国憲法第八一条には,
「最高裁判所は,一切の法律,命令,規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」
という規定がある。最高裁自体が,憲法違反を平然としている,ということである。基地問題に手を付けた,鳩山前首相は,
「官僚たちは,正統な選挙で選ばれた首相・鳩山ではない『別のなにか』に対して忠誠を誓っていた」
と語っているそうだが,ウィキリークスで暴露された通り,日本のトップクラスの官僚,高見澤防衛省・防衛政策局長,斎木外務省・アジア政策局長が,堂々と,アメリカ側に,鳩山元首相を批判していたという事実が,鳩山元首相の印象を明確に裏付けている。
では彼らは何に忠誠を誓っているのか。結論を先に言えば,
日米合同委員会
に対してである。そこは,
外務省北米局長を代表とする,各省庁から選ばれたトップ官僚と,在日米軍のトップによる月二回の会議,
である。憲法学者の長谷川正安名大名誉教授は,されを,
安保法体系
と名づけた。これが,砂川判決によって,
日本国内法はもとより,日本国憲法の上位に位置する,
ことが確定してしまっているのである。著者は言う。
「官僚というのは法律が存在基盤ですから,下位の法体系(国内法)より上位の法体系(安保法体系)を優先して動くのは当然です」
という。本当にそうなのか,それでは,件のアイヒマンと同じではないのか。ただ,指示された職務を忠実に果たすだけで,国を滅ぼすことも平然とする。そこには,人はいかにいくべきか,という倫理そのものが欠けている。すでに,ずいぶん前から,モラルハザードが起きている。
これと同じことが,原発でも起きている。原発訴訟で,例外を除いて,
「とりわけ児童の生命・身体・健康について,ゆゆしい事態の進行が懸念される」
と言いつつ,しかし,結論は,
「しかし行政措置を取る必要はない」
と無理に接ぎ木したような判決が多く出されている。ここにも,同じ背景を疑いたくなる。
放射能汚染がひどく営業停止に追い込まれたゴルフ場が東電を訴えた裁判がある。そこで,「除染方法や廃棄物処理の在り方が確立していない」という理由で,東京電力に放射性物質の除去を命じることは出来ないという判決が下された。著者は言う,
「おかしな判決が出るときは,その裏に必ず何か別のロジックが隠されているのです。…砂川裁判における『統治行為論』,伊方現原発訴訟における『裁量行為論』,米軍機騒音訴訟における『第三者行為論』など」
として,ここでも,基地問題と同じ適用除外がある,と指摘する。
「日本には汚染を防止するための立派な法律があるのに,なんと放射性物質はその適用除外となっていたのです!」
大気汚染防止法第二七条一項,土壌汚染対策法第二条一項,水質汚濁防止法第二三条一項,いずれも,「放射性物質による汚染,汚濁は適用除外となっている。そして,環境基本法第一三条のなかで,放射性物質による各種汚染の防止については,
「原子力基本法その他の関連法律で定める」
とし,「実は何も定めていない」のだという。だから,汚染被害を訴える農民に,環境省担当者は,
「当省としましては,このたびの放射性物質の放出に違法性はないと認識しております。」
と言い切る。つまり,法的に放射能汚染は,
「法的には汚染ではないから除染も賠償もする義務がない」
ということになる。裁判で門前払いされるわけである。そして最悪なのは,2012年の法改正で,この一三条が削除され,同時に,適用除外とされた条文も削除され,結果として,他の汚染と同じく,
政府が基準を定め(一六条)
国が防止のために必要な措置をとる(二一条)
で規制することになったが,その基準は決められていない。だから,幾ら訴訟を起こしても,「絶対に勝てない」だけではない。環境基本法と同時に改訂された原子力基本法の第二条二項に,
「(原子力に関する安全性の確保については)わが国の安全保障に資することを目的として,おこなうものとする」
とあり,原子力の問題も,基地問題と同様,安保法体系のなかに組み込まれたことを意味する。つまり,裁判の判断の埒外に追いやられたのである。つまり,官僚のさじ加減にゆだねられたのである。
議員立法で「原発事故 子ども・被災者支援法」が可決されても,政府はたなざらしにし,動かないことに対して,法案作成者の議員の一人が,被災者への意見聴取を求めたのに対し,復興庁の水野靖久参事官は,こう言い放った。
「政府は必要な措置を講じる。なにが必要かは政府が決める。そう法律に書いてあるでしょう」
と。これほど,いまの日本の実情を如実に示すものはない。議員立法に対しても,官僚は動かない。こうした背景にあるのが,
日米原子力協定
である。「廃炉」も「脱原発」も,日本側には何一つ決められない。しかも,日米原子力協定第一六条三項には,
「いかなる理由こによるこの協定またはそのもとでの協力の停止または終了の後においても,第一条,第二条四項,第三条から第九条まで,第一一条,第一二条および第一四条の規定は,適用可能なかぎり引きつづき効力を有する」
とあり,協定の終了後も効力がつづく。しかしも日本側からは,
「ひっくり返す武器が何もない」
と著者のいう状況なのである。これは,基地をめぐる地位協定よりも最悪である。つまり,選挙で選ばれた首相が,脱原発を表明しても,官僚が無理といえば,撤回せざるを得なくなる。この日米原子力協定が,憲法の上位にあることになるのである。
いずれも,「原発村」「安保村」といわれる。しかし,原発の規模は年間二兆円円,安保は年間五三〇兆円,
「なぜなら占領が終わって新たに独立を回復したとき,日本は日米安保体制を中心に国をつくった。安保村とは,戦後の日本社会そのものだから」
と,著者は言う。その日本のありようを示す,象徴的な発言は,キッシンジャーが周恩来に,なぜ米軍は他国(日本)に駐留し続けるのか,という問いに,
「もしわれわれが撤退するとなると,原子力の平和利用計画によって日本は十分なプルトニウムを保有していますから,非常に簡単に核兵器をつくることができます。ですから,われわれの撤退にとってかわるのは,決して望ましくない日本の核計画なのであり,われわれはそれに反対なのです。」
「日本が大規模な再軍備に乗り出すのであれば,中国とアメリカの伝統的な関係(第二次大戦時の対ファシズム同盟関係など)が復活するでしょう。…要するに,われわれは日本の軍備を日本の主要四島防衛の範囲に押しとどめることに最善を尽くすつもりです。しかし,もしそれに失敗すれば,他の国とともに日本の力の膨張を阻止するでしょう。」
と述べているとされるところに現れている。その意味で,日米安保条約は,
「『日本という国』の平和と安全のためではなく,『日本という地域』の平和と安全のために結ばれたものだ」
ということを思い起こさなくてはならない。国連(連合国)の「敵国条項」が,まだ日本にだけ(ドイツは事実上脱した)適用されていることを忘れてはならない。その延長線上に(占領軍としての),在日米軍がいる。その根拠法は,国連憲章第一〇七条と講和条約六条に基づいていて,「敵であった国」ということが続いている(イラク占領を「イラクの日本化」といったブッシュ大統領の発言はこの文脈で見ると,アメリカの本音が透けて見える。しかしそのイラクは,日本と異なり,米軍を撤退させたのである)。
中国の,
「日本政府による尖閣諸島の購入は,世界反ファシズム戦争における勝利という結果への公然たる否定で,戦後の国際秩序と国連憲章への挑戦でもある」
という発言は,その文脈から見るとき,敵国条項が生きている前提に立っての非難なのである。
では,我々は,どうすればいいのか。少なくとも,本書にはいくつかの提案があるが,現状では,国内有事とアメリカが判断した際,自衛隊は米軍の指揮下に入ると,密約で合意されている。しかも集団的自衛権自衛権行使を容認したいま,自衛隊が米軍世界戦略の先兵と化すことを意味する。
時間はそれほどない。しかし,少なくとも,基地問題については,今日の事態は,
日本側が,駐留を希望した,
ということに起因する。その拒絶の動きから始めなくてはならない。先例はある。フィリピンであり,ドイツである。いずれも,基地を撤去させた。周辺諸国との和解,関係改善を果たし敵国条項を実質的になくすことに成功したドイツのシュミット首相は,かつてこう言った。
「日本は周囲に友人がいない。東アジアに仲のいい国がない。それが問題です。」
と。その重要性が,30数年たってもなお有効であるばかりか,実は政府は今日,それとまったく正反対の行為を繰り返し,むしろ悪化させているということは,何という状況であろうか。
参考文献;
矢部宏治『日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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