2014年12月27日
目くじら
目くじらを立てるとは,
目をつりあげて人のあらさがしをする。他人の欠点を取り立てて非難する。目角(めかど)を立てる。
という意味で,たとえば,「小さなミスに目くじらを立てる」というように,あまりいい意味には使わない。
目くじらとは,
「目+くじら(端・尻)」
で,目尻を指す。「目をくじる」とも言い,
他人の欠点を言い立てる,
という意味らしい。「くじる」は,
くりねじる,
と言うのの約で,
穴に入れてねじりほじくる,
という意味になり,重箱の隅をほじくる,いった意味となり,いずれも,言外に,
目くそ鼻くそ
じゃないか,という冷笑の含意がある気がする。これについては,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/404676321.html
で触れた。これは,類語を拾うなら,
非難する,咎める,詰る,厳しく注意する,責め立てる,文句を言う,苦情を言う,抗議する,苦言を呈する,責めつける,責める,責め立てる,批判の声を上げる,批判する,小言を言う ,
等々とあるが,微妙にニュアンスが違う気がする。あえて言えば,
咎める,
責める,
詰める,
だが,
なじる,
が近い気がする。「咎める」は,
とが(科,軽い罪)+メル(動詞化)
で,軽い科を責めなじる,という意味になる。「責める」は,「攻める」と同根で,「攻める」は,
「攻む」(間隔を詰める)
で,「相手に近づいて力を加える」で,「責める」も同様,
相手に迫って,相手の当然果たすべきことを咎める,
という意味になる。当然,そこから「詰める」も類推が働くが,「詰む」とか迫る,という意になるが,「詰」は,
言い逃れの余地のないように締めつけながら問い質す
の意で,漢字そのものに咎める意味がある。
しかし,いずれも,明らかに,相手に重大な瑕疵があるとまでは言えないのに,大袈裟にとがめだてる,という意味から言うと,「目くじらを立てる」とは,少しニュアンスの差がある。
「目くじら」には,傍から見ていて,「何を大袈裟な」というか,ちょっと咎める側を嘲笑するというか,たしなめる意味合いがありそうである。
針小棒大
である。つまり,
針ほどのことを棒のように言う,
という感じが近い。大袈裟にとがめだてるほど,咎めている側の人となりが露呈する,というか,その人の器量が鏡にうっすうと,明らかになる。咎める,というのは,咎めるに値する瑕疵というか,問題があったということである。問題とは,期待値(こうあるべき,こうなっているはず,こうしたい,こうありたい等々)と現状のギャップだから,咎めている側の価値基準が,明示されているに等しい。
問題や瑕疵というのは,重大なルール違反や法律違反はともかく,結局,そうあるべし(そうしたい)という咎めている価値とのズレを責めているにすぎない。
その期待値を共有していなければ,咎めている側が咎められる。しかし,である。
小事は大事,
だから,周囲が小事と思っているからといって,ほんとうに,それが小事とは限らない。重箱の隅の穴が,蟻の一穴かどうか,咎めている側を嗤う側にも,またその器量が問われていいるのに違いはない。
蟻の一穴,天下の破れ,
ではないと確信がないものが,軽々に,
目くじらを,目くそ同様に笑う資格はないのである。哂っているおのれ自身が,世界から笑われていないとは限らないのである。おのれ自身をモニタリングするメタ・ポジションを持てない限り,そのリスクはいつもある。メンターというか,スーパバイザ―というものの存在が,必要である,というのはそのことなのだと思う。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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