心の進化


鈴木光太郎『ヒトの心はどう進化したのか』を読む。

心の進化をたどることは,いまの我々が,ヒトたるにたるとはどういうことか,を照らし出すものになっている気がする。

ヒトをヒト足らしめているものは何か,「ヒトと近縁であるチンパンジーとはどこが違うのか」についての一つの目安は,いわゆる6大特徴といわれているものである。つまり,

大きな脳
直立二足歩行
言語と言語能力
道具の製作と使用
火の使用
文化

である。ホモ・サピエンスというのは,知恵あるヒトである。名付け親は,系統分類をおこなった,リンネである。しかし,その他にも,

ホモ・ファーベル(ものを作るヒト)
ホモ・ロクエンス(しゃべるヒト)
ホモ・モビリタス(移動するヒト)
ホモ・ソシアリスト(社会的なヒト)
ホモ・レリギオスス(神や超自然的な存在を信じるヒト)
ホモ・ルーデンス(遊ぶヒト)

等々ヒトの特徴を表した命名がたくさんある。

本書では,

「カタカナ書きの『ヒト』は生物学的な人間を指す。」

として,他の動物との比較を意識して使われている。ここでもそれに倣ってみよう。

さて,360万年前,アフリカのサヴァンナで,我々の祖先は,二足歩行をしていた。その足跡が残っている。それによって手が使えるようになったが,

「まずその筆頭はといえば,移動能力が格段に高まったことだ。」

と,著者は言う。瞬発力はピューマやガゼルにはかなわないが,

「霊長類のなかでは,地上をもっとも速く走ることができるようになり,しかも長距離を走ることもよくできるようになった。」

このヒトの持久力が,ほかの動物の四足走行よりも格段に優れているらしいのである。

「ヒトは走るために生まれついている」

とさえ言われる。その理由は,

「私たちの脳のなかには,持久走などの長時間の有酸素運動を…快く感じさせるシステムがある(「脳内報酬系」と呼ばれるシステムがこれに関わっている)。」

のだそうだ。狩猟生活を営んできた遺産らしいのである。
さて,移動能力を得ることで,出アフリカといわれる現象が何度かある。一度は,180万年前,北京原人やジャワ原人となる。その後,10~5万年前にかけて,何度も出アフリカし,一部はクロマニョン人,ネアンデルタール人に,そして,1万4千年前までには,未踏のアメリカ大陸へまで進出する。いまや,70億人である。チンパンジーは,15万頭ほどでしかない。しかし,
「現代人は,数万年前のホモ・サピエンスから基本的なところは変化していない。つまり,ホモ・サピエンスとしての解剖学的特徴はほとんど変化していない。」
だから3万年前のクロマニヨン人の赤ちゃんを現代に連れてきてこの社会と文化の中で育てれば,普通の現代人の生活を送るし,逆に,現代の赤ちゃんをクロマニヨン人に預けても,立派なハンターに育つ,と著者は言う。
「5万年前頃には,…人の特徴の大部分は…すでに存在していた」
と。
さて,ヒトは,「手の動物」なのだそうだ。
「手の指を頻繁に使うことは,左右の手の分業を生じさせた。」
例のペンフィールドのホムンクルスにあるように,脳のどこが身体のどこを司っているかは,詳しくわかっている。で,我々の運動神経は,左右で交差しているが,利き手である右を担当するのは左脳であり,左脳はまた言語脳でもある。
「これはおそらく偶然ではない。手で細かな操作を行う,すなわち順序だった手や指の動きを制御することと,音声や単語を並べ,その順序を規則にしたがって入れ替えることには多くの共通点があるからだ。」
火の痕跡は,80万年前の遺跡から見つかっているが,火には,明かりや暖の他に,道具の製作や加工に利用でき,石は,熱すると,剥離しやすくなるものがある。そして,調理である。火を通すことで,消化しやすくなり,栄養価の高い食べ物を食べられ,摂取できるカロリーも格段に増す。
「ヒトの脳は,実はエネルギーを驚くほど多量に消費する。身体の2%しかないのに,身体全体が消費するエネルギーのうち20%から25%を食う。」
加熱処理は,脳を大きくし,「600ccから900cc」に増えた。それは,エネルギー摂取と相まって,
「(堅い生肉を食べるために)重装備だった歯,あごや咀嚼筋が,華奢なものに変化している…。咀嚼筋が弱くなったことによって頭蓋全体をきつく縛っていた筋肉の拘束は弱まり,これによって,脳は大きくなることができた…」
という可能性がある。この火の管理,たとえば火の勢いを調節するために火吹き筒を吹く,という行為が,
「息の調節が,言語の発生の制御―専門的には「調音」と呼ばれる―のもとにある。」
と著者は推測する。
25万年前には,脳は,現在と同じ1350ccになっていた,と言われる。300万年で,三倍になった。
「新生児の頭は,この大きさでも妥協の産物だ。産道を通れるぎりぎりの大きさで生まれてきて,その後脳はさらに成長し,4倍の大きさになる。」
その拡大の中でも大きくなったのは,前頭前皮質,小脳,側頭葉,前頭葉である。
この前頭前皮質が,自分がいましていることを意識的にモニタリング(「ワーキング・メモリー」と呼ばれる)や,未来のことを順序立てて考えること(プランニング)に関わっている…。さらに,社会的な行動のコントロールにも,道徳的判断やリスクの判断,他者への共感にも関わる。
「小脳…のニューロンの推定数は1000億個だ。大脳皮質のニューロンの数140億個と比較すると,小脳の方が格段にニューロン数が多い…。大脳皮質と小脳の間にはきわめて密な連絡がある…。この小脳こそ,身体の微妙で精密な動きに欠かせない。身体の動きの指令は前頭葉後部から出されるが…,その指令にしたがって,実際に個々の筋肉の動きの調節や順序やタイミングを調節するのは小脳であり,そうした動きが記憶されているのも小脳だ。」
いわゆる手続き記憶に関わっている,とみなすことができるのだろう。そして,側頭葉から前頭葉にかけての白質と呼ばれる部分で,ここが大きく膨らんで,神経線維で満たされている。他の領野との連絡が密に張り巡らされている。この構造は,
「言語機能と関係している。…言語の理解を担当しているのが,ウェルニッケ野…,言語の理解をもとに表出(発話)を担当しているのは,前頭葉のブローカー…である(このブローカー野は,大脳基底核と小脳と協働することで,発話をもたらす)。ブローカーとウェルニッケ野は,弓状束という神経線維の太い束で結ばれている。つまり,側頭葉の内部の部分がふくらんだことは,ひとつには,言語の理解と表出の緊密な連携を反映している。」

いつから話していたかは,言語能力に関わる遺伝子FOXP2が,ネアンデルタール人の化石のDNAから解読され,50万年前に,ホモ・サピエンスの祖先とネアンデルタール人の祖先とが分岐するので,この時代に,話す能力を持っていた可能性がある,とされている。

ヘッケルの反復説,つまり「個体発生は系統発生を繰り返す」という。動物胚のかたちが受精卵から成体のかたちへと複雑化することと,自然史における動物の複雑化との間に並行関係,つまり人類進化の痕は,個の成長のなかに見ることができるとすれば,心の進化もまた,個の心の成長の中に見ることができる。昔読み漁ったピアジェが自分の子供の成長の軌跡に発見したのは,それであった。

脳のシナプス結合が最高になる一歳以降,子供は能動的にさまざまな知識や能力を身につけていく。ひとつは,ことば,いまひとつは心の理論。

「私たちは,相手の心の状態を読んで次の行動をとる。相手がなにをどう思っているかをつねに気にかけながら(場合によっては意図的に気にかけないようにして),自分の対処法を決めている。(中略)私たちが目にすることができるのは相手の行為やしぐさや表情だけであり,耳にすることができるのは相手が発することばと声だけである。しかしふつうは,私たちは,それら外に現れたものを通して,相手がなにを意図しているか,いまどんな感情をもっているか,なにを躊躇しているか,なにを思い悩んでいるかを,すなわち相手の心がどんな状態にあるかを推測する。」

これを「心の理論」と呼ぶ。これがなければ,カウンセリングもコーチングも成り立たない。この発達は,4~5歳ころに獲得される。ここではじめて,「他者の視点に立つ」ことが可能になる。

「他者の視点に立つことができるというこの能力は,自分がどういう人間かを自覚し始めること(「認知的自己」の出現)とも無関係ではない。というのも認知的自己は,他者と自分の違いがわかり,他者から自分がどう見えるかを意識することから始まるからである。」

これは,鏡の中の自分がわかることとも対応している。だから,

ホモ・イミタトゥス(まねするヒト)

がヒトの特徴でもある。指差し行為は,ヒトしかしない。なぜなら,

「指差しで指示されている方向とは,指差した人間からの方向である。見ている側は,その指差した人間の位置に身をおかないかぎり(あるいはそれを想像しないかぎり),指されている方向を特定できない。」

それは,注意の共有でもある。すでに,ヒトの社会がある。さらに,ヒトは,モノにも心を見る。天変地異や自然現象にも「心の理論」を当てはめる。その先に神や超自然現象を見る。

ホモ・レリギオスス(神や超自然現象を信じるヒト)

でもある。

結びの,収容所の中で仲間に言ったフランクルの言葉は,ヒトとは何であるかを示して,印象深い。

「自分たちのことを思いながら待っていてくれている人たちのことを思うように言う。『どんな苦境にあっても,だれか―友,妻,生きているだれか,亡くなっただれか,あるいは神―が僕たちのそれぞれを見守っていて,ぼくたちがその人や神を失望させないことを願っているのだ』。…人間は待っていてくれる人がいるからこそ生きられるのかもしれない。」

参考文献;
鈴木光太郎『ヒトの心はどう進化したのか』(ちくま新書)







今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

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