2015年01月08日
ノウハウ
何かを学んだとき,うろ覚えたが,確か,8時間後には,その,
1/2~1/3
を忘れる,と言われる。たしか,エビングハウスの忘却曲線というやつだ,調べ直すと,
「20分後には42%を忘却し,58%を保持していた。 1時間後には56%を忘却し,44%を保持していた。 1日後には74%を忘却し,26%を保持していた。 1週間後(7日間後)には77%を忘却し,23%を保持していた。 1ヶ月後(30日間後)には79%を忘却し,21%を保持していた。」
とある。聞いたり,体験したりする直後から忘れていく,というらしい。しかし,僕は,これをあまり信じていない。忘れているのではなく,脳のなかに貯蔵された記憶とアクセスがしにくくなる,ということだと思っている。まあ,俗説に,死の直前,
一生分が,フィルムのラッシュのように,目の前を流れていく,
というのをどこかで信じているせいかもしれない。しかし,アクセスできないというのは,知らないのとほとんど変わらない。その意味では,学んだことを,使ってみることで,脳のリンクが強化される,というのは,正しいようだ。少なくとも,
学んだり,体験しただけでは,自分のスキルやノウハウにはならない,
というのは正しいようだ。その意味では,一度立ち止まって,
何を学んだのか,
何を経験したのか,
を振り返っておくことは,重要なのだと思う。その振り返り,というのは,
自分のもっている知識や経験とすり合わせて,それとつなぎ直す,
という作業なのではないか。自分のもっている知のネットワーク,体験のネットワークの中につなぎこむ,ということだ。それは,
得た知識
と
やってみた体験
と,自分の知識・経験とを,メタ・ポジションから見る視点をもつということなのかもしれない。
知には,G・ライルの言うように,
Knowing how
と
Knowing that
があるのだが,体験したことをつなぎ直すというのは,
どうやったのか,
どう学んだのか,
というKnowing howを,
Knowing that化
することに他ならない。王陽明は,
抑々知っているという以上,それは必ず行いに現れるものだ。知っていながら行わないというのは,要するに知らないということだ。
と言うが,そもそも,
Knowing that
と
Knowing how
を別と考えることが間違っている,というに等しい。王陽明の,
知といえばすでにそこには行が含まれており,行とだけいえばすでに知が含まれている…,
というのもその趣旨だ。
知は行の始(もと),行は知の成(じつげん)
とはその意味だ。あるいは,知は自己目的ではない,と言い換えてもいい。
行のための知でもなく,知のための行でもない。
元来は,
そのことをよくしようと求めるから学といい,その惑いを解こうと求めるから問といい,その理に通じようと求めるから思といい,その考察を精にしようと求める上から弁といい,その実際を履行しようと求める上から行という…,
ものなのではないか。それは,『中庸』の,
博くこれを学び,審らかにこれを問い,謹みてこれを思い,明らかにこれを弁じ,篤くこれを行う。学ばざることあれば,これを学びて能くせざれば措かざるなり。問わざることあれば,これを問いて知らざれば措かざるなり。思わざることあれば,これを思いて得ざれば措かざるなり。弁ぜざることあれば,これを弁じて明らかならざれば措かざるなり。行わざることあれば,これを行いて篤からざれば措かざるなり。
から来ているし,元をたどれば,『論語』の,
子夏曰く,博く学びて篤く志り,切に問いて近くに思う,
につながる。そもそもかつての知は,実践のための知であった。
行えない,
行わない,
のは知ではないのである。いわゆる,
修身斉家治国平天下
である。つまり,
古えの明徳を天下に明らかにせんと欲する者は先ずその国を治む。その国を治めんと欲する者は先ずその家を斉(ととの)う。その家を斉えんと欲する者は先ずその実を脩む。その身を脩めんと欲する者はまずその心を正す。その心を正さんと欲する者は先ずその意を誠にす。その意を誠に千と欲する者はその知を到(きわ)む。知を到むるは物に格(いた)るに在り。物に格りて后知至(きわま)る。知至まりて后意誠なり。意誠にして后心正し。心正しくして后身脩まる。身脩まりて后家斉う。家斉いて后国治まる。国治まりて后天下平らかなり。
いやはや,ノウハウ(Knowing how)抜きの知(Knowing that)はなかったのである。
それにしても,秘書がとか,妻がとか,そもそもしかるべからざる人間が上にいて国が治まろうはずはない。その現状を見るとき,大塩平八郎を思い出さざるをえない。
それでもなお,知の破綻は,自己完結によってもたらされる。現実との格闘抜きの自己完結があり得ないところで,自己完結させれば,知は細る。
大塩平八郎が,「此節米価弥高直ニ相成,大坂之奉行并諸役人とも,万物一体の仁を忘れ,得手勝手の政道をいたし」と,一揆の檄文に書かざるを得なかったのは,おのれの「万物一体の仁」の思想に反してでも,そこに閑居して見過ごせない「惻隠の情」に従ったとみるべきだ。そして,現今の為政者も,天保当時の幕閣と比べても劣らない体たらくである。
とすれば,ノウハウとは,ただ知の自己完結ではない。「民を視ること傷めるが如し」という思想を実践することを手ばなして,「万物一体の仁」を称えることは出来ないという,(大塩が体現した)最後の倫理が見える気がする。それもまたKnowing thatである。
参考文献;
溝口雄三訳注『伝習録』(中公クラシクス)
貝塚茂樹訳注『論語』(中公文庫)
金谷治訳注『大学・中庸』(岩波文庫)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください