昔から,粗忽である。軽率と言い換えてもいい。粗忽とは,辞書的には,
①あわただしいこと。あわただしくことを行うこと。
②軽はずみなこと。そそっかしいこと。また,そのさま。軽率。
③不注意なために引き起こしたあやまち。そそう。
④唐突でぶしつけなこと。失礼なこと。また,そのさま。
とある。ここにないが,もうひとつ,早飲み込みというのがある。早合点,である。軽はずみに含まれる,と言えば言えるが,分かったつもりで動いて,結果,その後処理にバタバタする,という奴である。行動自体は同じことになる。
「粗忽」の語源では,
「粗(あらい)+忽(うっかりする)」
で,そそっかしい,というニュアンスが強い。因果をたどると,
あわただしい,
というか,
気持ちがせかせかして落ち着きがない,
というか,まあ,
せっかち
に起因している,というように見える。で,結果として,
軽はずみになったり,
不躾になったり,
ということになる。語感的には,
不注意による過ち,
そういうことの多い性格,
となるが,たぶん,一種のトンネルビジョンに陥っている,ということだ。何か一点に気を取られて,あるいは思い込んで,たとえば,忘れ物でも,なくしものでもいいが,そのことが視野を蓋って,モノが見えなくなり,あわてる,ということになる。
バタバタするのは,
所要時間の見積もりが,実時間より長く見積もっていたか,
実時間の見積もりが,所要時間よりも短く見積もっていたか,
いずれにしても,実時間不足と思い込んでいるか,実時間不足に陥るかの差はあっても,その時点では(時間がないと),焦っていることに変わりはない。
落ち着け,
という声がかかるのは意味があって,トンネルビジョンから,つまり,そういう心理的どつぼから抜け出すには,
距離を置く,
しかなく,それにはまずは,立ち止まるしかない。それが,
時間的にか
空間的にか,
は別にして,距離を置く第一歩だからだ。
落ち着く,
というのは,
「オチ(おさまる)+ツク(安定する)」
で,おさまる,しずまる,という意味になる。それは,
その場に立ち止まる,
まずは,止まって居つく,
というニュアンスがある。そう考えると,粗忽の類語とされる,
そそっかしい,
軽々しい,
はまだしも,
上っ調子,
おっちょこちょい,
軽はずみ,
軽率,
と「粗忽」とは少しニュアンスが違う。ましてや,
軽佻浮薄,
無分別,
盲目的,
とはかなりの隔たりがある。結果として,軽率な振る舞いになるにしても,上っ調子や,おっちょこちょいなのではなく,何かに捉われ,執着してしまう結果の,
不注意な行動,
ということになる。外見は,変らないにしても,内心の葛藤は,かなりの差がある。単に何も考えず,軽はずみに,というよりは,考えているうちに,何かにとらわれ,逆に,執着し,考え込んだ結果のバタバタになる。そのせいか,
忽
には,
うっかりしているまに,
こころがうつろなさま,
というニュアンスがあり,
勿(ブツ)
は,吹き流しがゆらゆらして,はっきりと見えないさまをえがいた象形文字で,
「心+勿」
は,心がそこに存在しないまま,見過ごしていることを,示す。同じく,心ここにあらずでも,どこかに,まだ救いがある,というのは,思い入れが過ぎるか,
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
日本中村明『日本語語感の辞典』(岩波書店)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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