2015年01月17日
もっともらしさ
「地震・雷・火事・おやじ」は,一般には,
地震,雷,火事などの災害に匹敵するほど親父が怖かったのは,年長の男性によって支配される家族制度である家父長制のもとでのことで,現在では親父はそれほど怖いものとは思われていない。
「親父」の代わりに「女房」や「津波」など,怖いと思うものに置き換えて使われることもある。「親父」は「親爺」とも書く。
と説明されることが多い。しかし,「地震・雷・火事・おやじ」のおやじは親父ではなくて,
「大山風(おおやまじ)」もしくは「大風(おおやじ)」であり,簡単にいうと「台風」のこと。
と言うもっともらしい説が,流布している。で,
「・・・『地震,雷,火事,おやじ』のおやじは,オオヤマジ(大きい風=台風)がなまったという説もある」,と『お天気生活事典』などの著書がある福井地方気象台防災業務課長の平沼洋司さん(59)は話す。」(朝日新聞)
という説明があったりするので,ややこしい。しかし,
おおやまじ
すべての辞書検索で該当する情報は見つかりませんでした。
という報告もあり,その報告では,
「なお『大やまじ』説が,はじめて紹介された書籍を調べると,なんと!森田正光さん著の『雨風博士の遠めがね―お天気不思議ものがたり』(新潮社 1977)にたどり着くのだそうです。
ということは,責任の矛先は森田さんに向くわけです。森田さんの弁解?によれば,むかし気象庁などの大先輩の何人もが『大やまじ』説を口にされてるのを聞いた記憶があり,件の書籍で書くに当たって書籍で調べた所,明確な根拠は見つからなかったので『こういう説もある』と断定はしなかったそうです。
それが,テレビのクイズ番組などマスコミであっという間に広まり,いつの間にか通説として現在定着してしまったというのが実態のようです。だいたいマスコミで広まった時期も2000年以降だそうで,このあたり符合しています。」
とあり,上記の朝日新聞記事も,その時期らしい。考えてみれば,
地震・雷・火事・おやじ
と落ちるから面白いのであって,
地震・雷・火事・台風
では,面白くも可笑しくもない。やはり,諺に,もっともらしい理屈をひねり出した人間がいるのだろう。
道を聴きて塗(みち)に説くは,徳をこれ棄つるなり
である。「尤もらしい」の「尤も」というのは,元来,
御尤も
というように,ちょっと茶化すニュアンスがなくもない。
どこから見ても理屈にかなっている
という意味だが,
「もっとも,…」
と接続詞として使うときは,
そうは言うものの
ただし,
はたまた
という余白を残している。だから,
ご無理御尤も
もっともごかし
もっとも至極
もっとも千万
という使い方をするので,「尤もらしい」という口吻をちょっと含めていなくもない。
御尤も役
という,「御尤も」と相槌を打つ役が,端役の代名詞にあるくらいだが(ちょっと意味が違うか)。
「尤」の字は,
手の肘+―
で,手のある部分に,いぼやおできが出来るなど,思わぬ事故の生じたことを示す,という。で,災いや失敗の生ずることで,肬(いぼ)や疣(いぼ)の原字。多くは,
科,
わざわい
とがめる,
失敗を責める
という意味で,いい意味ではないが,
尤者
で,優れたものという意味もあるので,
もっとも,
目立っていちばんに,
とりわけ,
という意味を持っていないわけではない。普通もっともというと,「最も」と当てるが,「最」は,
最上,
最初
という意味で,「最」は,
「おおい+取る」
で,かぶせたおおいをむりやりにおかして,少量ずつ,つまみ取ることを示す,という。もともとは,「極少」の意味なのに,「少ない」の意を失って,「いちばんひどく」の意となったとされる。日本語で言うと,
「最」は,
「いとど」と訳す。はなはだの意で,優れて異なる,という意味,日本語で言うと,「けやけし」になる。「けやけし」とは,
異様だ
際立つ
こしゃくである
と辞書にある。「もっとも」と言いつつ,
確かに理屈に合っているが,小癪,小賢しい,と感じているということだ。つまりは,心のどこかで,
?
を感じている,という意味だ。
もっともらしい,
とは,兎角言い得て妙である。確かに,
地震・雷・火事・大やまじ
には,小癪なもっともらしさがある。しかし,「御尤も」と茶化すに如くはない。
参考文献;
http://flyman.jugem.cc/?eid=1046
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
簡野道明『字源』(角川書店)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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