2015年01月18日
MOTTAINAI
日本語の「もったいない」は,
環境3R+R(リスペクト)をたったひとことで表す,
MOTTAINAIとして,世界的に知られてしまったが,本来の意味は,
もったいなし
で,
勿体とは,
ものものしいありさま
高ぶった様子
高ぶったさま
を指す。漢字の「勿」は,
さまざまの色の吹き流しの旗を描いた象形。色が乱れてよくわからない意を示す。あるいは水に沈めて隠すさま,
ともいう。そこから転じて,広く,「ない」という否定詞となり,「そういうことがないように」という禁止の言葉となった。たとえば,
過則勿憚改(過てば則改むるに憚ること勿れ)
と,いうように。「勿」は,「物」とも当てるらしい。で「物」を見ると,
「牛+勿」で,色合いの定かでない牛。一定の特色のない意から,いろいろなものを表す意,となる。牛は,モノの代表として選ばれただけ,
とあり,「勿体」は「物体」とも当てる。
ま,ともかく,「勿」の意味は,
なかれ(禁止の辞)
とか
ない,否定を表すことば
とか
つとむ
とか
にわか
といった意味だから,
勿論で,ろんずるまでもなし,
とか
勿怪で,思いがけない,
とか
勿勿で,にわか,あわただしい,こころがそぞろなさま
と使う。で,
勿体で,
物々しき様子,
尊大なさま,
という意味になる。そこで,「勿体ない」は,というと,語源的には,
①「モッタイ(物々しい様子)+ナイ(はなはだしいの接尾語)」で,ことさら重要らしく見せる,という意。
②「勿(無)+体+ナイ」で,正体がない,よろしくない,もってのほか,という意。そこから転じて,粗末に扱うのはもってのほかだ,捨てるのは惜しいねとなる。
の二説があるらしい。辞書には,,
①神仏,奇人に対して不都合である,不届きである,
②過分のことで畏れ多い,かたじけない,有り難い
③そのものの値打ちが生かされず無駄になるのが惜しい,
といった意味だが,①と②はともかく,③の意味は,どこかとってつけた感じがしなくもない。そのせいか,勿体・物体は,
物の形,
物のあるべき姿
を意味し,そこから,
物の本質
物の正体
となり,そこから,
重々しい態度
などの意味が派生したのだ,と解釈する向きもある。まあ,こういうもっともらしい説は,ためにする部分があり,むしろ,「勿体」自体を,素直に見れば,すでに,
体(軀,躯,躰,體,軆)を為さない,
テイと読むか,タイと読むか,カラダと読むかは別に,この字のそのものから考えれば,
本来の状態ではない,
見かけと違う,
見かけ倒し,
という,否定的なニュアンスがある。だから,勿体の「物々しき様子,尊大なさま」という言葉自体が,見かけ倒しという意味を言外に含んでいる。
因みに,横道にそれるが,体(軀,躯,躰,體,軆)の「體」は,「豊(きちんと並べる意)+骨」。「体は」,「人+本(もと笨で,ホンと読む)」で,中国でも古くから「體」の俗字として使われてきた。尸(人が横になって寝た姿)と同系で,各部分がつらなってまとまりをなした人体を意味し,のちに広くからだや姿の意となった,とされている。
その「体」に,「ない」重ねると,「勿体ない」は,
「テイをなしていない」こともない
となる。
つまり,
大事でないことはない,
とか
重要でないことはない,
という意味に変わる。「勿体ない」は,だから,「惜しい」「畏れ多い」という意味に先祖返りした感じがしなくもない。
そのせいか,
勿体ぶる
とか
とか
勿体がお
とか
勿体を付ける
とか
勿体らしい
という,「勿体」に関わる語彙には,見かけ倒し,という皮肉るニュアンスが付きまとっている。
もともとは,だから,勿体ないにも,
有り難すぎて恐縮する
という,相手の振る舞いへの皮肉のにおいがったのではないか,という気がしてならない。
畏れ多い,
というべきところを,更にへりくだると,
勿体ない,
とおのれを貶める,といったふうな。だから,
ものを粗末にしてもったいない,
仕えるのに捨ててしまうのはもったいない,
という言い方には,少し,相手の振る舞いを咎める意図が入っているので,というか,ものを大事にしろ,ものを粗末にするな,という躾というか,行儀を正す意図があるはずなので,単純に,
その価値を活かしきっていなくて,惜しい,
という意味だけではなかったような気がするのだ。だから,類語の,
畏れ多い,
でも,
惜しい
でも,
不相応な
でも,
捨てるにはまだ早い
でも,
違和感がある
でも,
使い方が雑で惜しい
でも,
粗末にする,
でも,
勿体ないのニュアンスにはならない。もったいないには,仕付ける(仕付け縫いの意味の仕付け)の意味がある。
だから,環境分野で初のノーベル平和賞を受賞したケニア人女性,ワンガリ・マータイさんが,日本語の「もったいない」に感銘を受けて,
環境 3R+Respect=もったいないを,
Reduce(ゴミ削減),Reuse(再利用),Recycle(再資源化)という環境活動の3Rをたった一言で表せるだけでなく,
かけがえのない地球資源に対するRespect(尊敬の念)が込められている言葉,「もったいない」として,環境を守る
世界共通語「MOTTAINAI」として広めることを提唱した,
という意図は,
勿体ないのもつ,
事々しい言いようにはふさわしい,
のだと思う。それは,人の振る舞いへの行儀,礼儀運動としては,ふさわしい言葉だと思う。
ただ,それをこれからの日本のムーブメントにするとき,かつて,
「欲しがりません勝つまでは」
「生活下げて 日の丸上げよ」
というスローガンとして,かつて国民に忍耐を強いる国民精神総動員運動として,物資の節約,廃品,金属等の回収・リサイクル,歓楽街のネオンのライトダウンなどの取り組みが行われた。その分を軍備や企業の税率を下げることに使われかねない嫌な雰囲気がある。それこそ,
勿体ぶったスローガン
にされる(可能性のある)ことには細心の注意がいる。そのオーソライズに,必ず,
日本の民族信仰である古神道においては,森羅万象に対して,「散る桜の花びら」や,「生き物の吐息の一つ一つ」にまで,慈しみや感謝の念をもって接してきた,
という自画自賛が,裏打ちとされ,
勿体づけられるに違いない。くわばらくわばら(あれ?くわばらってどういう意味だっけ)。
参考文献;
金田一京助・春彦監修『古語辞典』(三省堂)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
中村明『日本語語感の辞典』(岩波書店)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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