2015年01月19日


耳に従う,という言葉がふと口をつく。

人の言葉を素直に聞く,

あるいは,

自分と異なる意見も反発しなくなる,

と訳される。

吾十有五にして学に志し,三十にして立ち,四十にして惑わず,五十にして天命を知る。六十にして耳に従う。七十にして心の欲する所に従いて矩を踰(こ)えず,

である。而立,不惑,知命,耳順と,言う。

しかし,戦後七十年にして,心の欲するままに,矩を超えようとしている,この国について,恥ずかしさが先に立つ。欧米世界がどう見ているかは,

ロスチャイルド銀行家ファミリーが所有する世界的な政治・経済紙「The Economist」が、増刊号として毎年暮れに「翌年の予想」を出版している。今年の増刊号は,昨年暮れに出た「2015年の予測」だが,表紙には,プーチン,習近平を除いて西側世界のトップがズラリと顔をそろえている。しかし安倍首相の姿だけが見当たらない,

というところに現れている気がする。

別に世界を動かさなくてもいい。しかし,世界に恥ずかしくない,国として,国民として,立っているのかどうか,が問われている。

耳という字は,

耳を描いた象形文字で,柔らかい,という意味がある。物の両脇に付いた耳状のものという意味がある。

「黄金の耳」という言葉があるそうである。

「鼎黄耳(こうじ)金鉉(きんげん)あり。」

「鼎を担いで運ぶための鉉(つる)を通す耳が壊れていたら供物を運べないので,鼎の耳は国の権威を保つ「王の耳」に喩えられる,」

という。さらに,
 
鼎の耳に空いた穴には,賢者の諫言・智恵・明知を表す「金鉉」が貫いており,虚心に人の意見を聞くリーダーの耳を「黄金の耳」

というのだそうだ。どの国とは言いたくもないが,多く,トップは,裸の王様になる。

優れたリーダーの三条件というのがあるそうである。

君子はその身を安くして而る後に動き,その心を易くして而る後に語り,その交りを定めて而る後に求む(『易経』繋辞下伝)

と,優れたリーダーは,

「1.危ない時には動かない 負ける喧嘩はしない。
 2.よく考え確信を持ってから平易な言葉で語る 思いつきで語ることはない。
 3.人とは親しく交際し,信頼を深めてから物事を求める。」

と。「みんなで考え,一人で決める」のがリーダーだと思っているから,別にこの通りのリーダー像が正しいとは思わない。しかし,自分が,王様ではなく,国民の信任を受けたのだとすれば,少なくとも,国民のためになるように,動かなくてはならない。とすれば,おのれの趣向や趣味や,ましてやおのれ一個の思想信条の実現のために,国を玩弄してはならない。

そんな当たり前のことが,日本のトップで,弁えていた人間が何人いるのか。国のためと称して,ほとんど国のためにならず,国民のためと称して,おのが欲求を実現しようとする輩ばかりなのではないか。そして,哀しいかな,それは,国民のレベルと程度を反映している。世界に出して恥ずかしいとすれば,それは,国民自身が恥を世界にふりまいているのである。

子貢問いて曰わく,何如なるかこれこれを士と謂うべき。子曰く,己を行うに恥あり,四方に使いして君命を辱めざるは,士と謂うべし。曰わく,敢えて其の次を問う。曰,、宗族は孝を称し,郷党は弟を称す。曰く,敢えて其の次を問う。曰く,言必ず信、行必ず果,硜硜然(こうこうぜん)たる小人なるかな。抑々亦以て次ぎと為すべし。曰く,今の政に従う者は如何。子曰く,噫(ああ),斗筲(としょう)の人,何んぞ算(かぞ)うるに足らん。

二千二百年以上前の,孔子の言に,頷くよりは,涙が出る。

「四方に使いして君命を辱めざる」

君命を,国民の輿望と読み替える。

「言必ず信,行必ず果」

はそのままでいい。言に信が置け,結果を出しているのか,言の表裏は問わず,結果の数字のみだ。GDPがマイナスなのに,誰ひとり騒がない,ほとほと呆れて,言葉もない。

今だけ,金だけ,自分だけ,

しか関心がないのが,昭和恐慌の後に似ている。その後に来たのは,戦争の二十年である。戦争以外に,経済打開の道が無くなったのである。そのことで利を得るものの代行行為である。戦争は,政治の失敗の表現である。

斗筲

とは,

「斗」が当時の一斗,
「筲」が当時の一斗二升,

で,そうした桝で測れる器量,という意味だ。これでも貶めているらしいのだか,まだまだ大きすぎる。一合枡以下なのではないか。あるいは,まあいい,そんなことを比較してみたところで仕方がない。

耳に従う,

つまり聴く力とは,聴きたいことを聞くことではない。おのが利をはかるために聞くことでもない。そんな分かりきったことが,通用しない時代が,すぐそこに来ている。

サザンが,謝罪したらしいが,謝罪しなければならないほど,異説,異論を許さない社会が,既に来ている,ということだ。あの佐藤B作の芸名は,彼のデビューした時代の首相,佐藤栄作をもじったものだが,もはやNHKでは(民放も),政治風刺自体がゆるされなくなっていることを,爆笑問題が暴露した。

懸念や心配ではなく,すでに,自由な発言を,まして政権批判を許さない時代が来てしまった。かつて東欧諸国では,パロディがはやった。江戸時代も,戯作者は,粋に諧謔を作品化した。これから,そういう時代が来る,ということだ。表玄関で,大手を振って入ってくる作品は,官製か官許のものだと心得なくてはならない。真実は,裏メッセージでしか語れない時代がきた。





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posted by Toshi at 05:00| Comment(0) | リーダー論 | 更新情報をチェックする
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