2015年02月03日
ちちんぷいぷい
「ちちんぷいぷい」は,不思議な言葉だ。幼児に向かって言うらしい語感はある。
ちちんぷいぷいは,
一般には子供が怪我をしたときになだめるときに,用語である。主に母親などが,「ちちんぷいぷい,痛いの痛いの,飛んでけ」といったように使用する。 古くはもっと長く「チチンプイプイ御代(ゴヨ)の御宝(オンタカラ)」ととなえた,という。その語源は,
「智仁武勇は御代の御宝」(ちじんぶゆうはごよのおたから),
とされる,とある。これは,三代将軍徳川家光の乳母・春日局が子をあやすために,「知仁武勇は御代の御宝」(知力と武力に長けた貴方は徳川家の宝なのですから,どうか泣かないで下さい)」と残したことに由来する。しかし,異説もあるらしい。もう一つは,
仏教用語の「七里結界」(四方七里に邪を寄せ付けない結界をはる)
に由来するというのである。詳しくない僕には,どちらも,もっともらしいが,単に,喃語に合わせているようにも見える。
似たのに,「どっこいしょ」がある。
民俗学者の柳田国男によると,「何処へ」が語源だとされる。語源的にも,
「何処へ(相撲の掛け声)+しょ(掛け声)
で,本来は,荷物を運ぼうとして力を入れるときの声で,転じて,腰を下ろすとき掛け声のに使う,という。余談ながら,坐るぞ,あるいは,力を入れるぞ,という合図をすることで,身体への不意打ちの衝撃に備えさせる意味では,効果的なのだ,と聞いたことがある。身体への合図,と考えると判りやすい。ネット上には,
「『どこへ』はもともと感動詞で,相手の発言や行動をさえぎる時に使う言葉です。『なんの!』や『どうして!』などと同じように思わず力が入る言葉だったのです。江戸時代には歌舞伎にもよく出てきていました。『どこへ!』が『どっこい!』となり,さらに『どっこいしょ!』と変化したと言われています。相撲で『どすこい!』と言うのも,この『どこへ』が語源のようです。」
手元の古語辞典を引くと,「どこへ」は,
「何処(どこ)への意から,相手の行動などを遮り,止める意。どっこい。」
とある。「ところがどっこい」というのが,いまも生きている。これだけはっきりしていても,異説はあって,
古来からの山岳信仰で,その信仰として山に登る風習があり,その際「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」と唱えながらのぼっていた。六根,つまり“目・鼻・耳・舌・身・意”とをいい,これらを清めるために「六根清浄」と唱えたのです。「ろっこんしょうじょう」と唱え,それがが「どっこいしょ」と聞こえた,
というのではないかという説である。
しかし,勝手な億説だが,どうも逆のような気がする。たしかに,
「六根清浄 お山は晴天」
と山を登るときに,教えてもらった記憶があるが,江戸時代に,「どっこいしょ」という掛け声が先にあって,あるいは同時でもいいが,(その言葉が人口に膾炙していて)富士講の人々が,どっこいしょという掛け声に,しゃれで,六根清浄を当てた,のではないか。いまで言えば,「だめよ,だめだめ」の類が,あちこちで転用されるようなものだ。真偽は別に,その方が面白い気がする。
「どっこいしょ」に似た掛け声に,「よいしょ」「こらしょ」というのがある。
「よいしょ」には,
力を込めて重い物を持ち上げたりするときに発するかけ声。よいさ。
ある動作を起こそうとするときに発するかけ声。
俗謡・民謡などの囃子詞(はやしことば)。
の他に,名詞として,
相手の機嫌をとって,おだて上げること
というのがある。どちらが先かはわからないが,どうやら,幇間や寄席から出てきた言葉らしい。扇子を広げて,尻を端折った幇間が,扇子を煽って,よいしょ,と掛け声を出している図が浮かぶ。そうやって,客を「持ち上げる」という洒落なのではないか。掛け声が,これも先なのかもしれない。
掛け声は,ことばのルーツとしては古い,と学んだ記憶が,微かにある。歌のルーツも,そうやって一緒に何かするときの掛け声の延長戦上と,考えてもいいのかもしれない。だから,「よいしょ」が「顧客をよいしょする」にしゃれたのだと思う方が,面白い。
「よいしょ,こらしょ」
と対になっているのも,掛け声の自然発生と考えた方が,無理がない。「やっさ」「ほいさ」や「えっさほい」にちかいところでは,「わっしょい,わっしょい」に代わった,「そいやさ」も,掛け声である。
確かに,仏教由来の言葉は,挨拶,玄関,普請,等々日常語にあるのは,確かだが,動作や労働につながるのは,意外にもっと古いのではないか,という気がする。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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