2015年02月15日
お世辞
どうも,お世辞というのが苦手である。誉めるのも,苦手だが,まだ事実なら,承認のしようはある。しかし,まったくの絵空事へのお世辞は,追従に似ていて,潔しとしない。かつては,多分数えるほどしかなかったはずである。いいことかわるいことか,いまは,平気で言っているかもしれない。しかし,言いながら,照れる。そういうことを言う自分に照れている。
お世辞の「世辞」は,語源を調べると,
「世(世事をうまくおこなうための)+辞(言葉)」
で,「あいそのよいことば」とある。どうも僕のイメージとは異なる。で,意味を調べると,
他人に対して愛想のいい言葉,
人の気をそらさないうまい口ぶり,
相手を喜ばせようとして,実際以上にほめる言葉,
追従口,
とあり,大概,
見えすいた
という形容がつき,
お世辞抜きで上手い
とか
上手いとはお世辞にも言えない
という言い回しがあり,ただの愛想のいい,とは微妙に違う。因みに,「愛想」は,
人に与える好感,好意,
とあって,その他に,
好意のあらわれとしての茶菓などのもてなし
飲食店の勘定(書)
とある。語源は,
「愛(愛らしい)+相(様子)」
とある。そうか,「愛想笑い」とは,相手への好意を示しているのか。たとえば,好意の互恵性というのがあって,
「他者から好かれると,その人を好きにならずにはいられない」
という説がある。これは,前にも書いた気がするが,
第一には,好意的な自己概念を求める欲求がある,
第二には,自己評価と類似した意見の他者を好む傾向がある,
という仮説がふたつあることによるらしいが,僕が社会心理学を,いささか信用できないのは,ストーカーを考えたら,この説は崩壊するからである。
お愛想,という言い方をすると,ここにもやはり,世辞に似たニュアンスがある。
「何のお愛想もできませんで,失礼しました」
とか
「どうも愛想なしで」
という言い方をする。「御愛想尽かし」の意味の勘定をしてくれ,から,「おあいそ」となったという説もある。
異説では,お店側が,「御愛想がなくて申し訳ありません」「愛想づかしなことではありますが」と断りながら,勘定書を示したというのもあるが,それがだんだん短くつまって「あいそ」,ちょっと丁寧に「おあいそ」となり,いつしか「おあいそ」だけで勘定の意味を持つようになり,客のほうも、自分からその言葉を使うようになった,という。
まあ,支払いを画期に,両者のもてなし,もてなされ関係が,一旦(双方で)「愛想」を切る,でもあるし,「愛想」=もてなしを切る,という意味にもなるのだろう。
それにしても,
お愛想,
と
お世辞,
とでは,どっが追従度が高いのだろうか。類語を見ると,
外交辞令
おべっか
おべんちゃら
お上手
巧言
甘言
はむき
等々とある。から世辞という言葉があるくらいだから,世辞より見えすいているのが,から世辞ということになるのか。これと,
外交辞令
は,まあ,いわゆるリップサービスだが,リップサービスは,
口先だけの好意
お世辞
とあり,外交辞令は,
相手に好感を持たせる
外交上,社交上の応接,
から転じて,口先だけのお世辞,
とあるから,基本は,お世辞と同格ということになる。この場合,相手を,
ワンアップ
している感じになる。お上手も,お世辞に似ている。一方,おべっかは,
へつらうこと,
だし,同じく,へつらうは,
気にいるようにふるまう
媚びる,
おもねる,
追従,
となる。追従は,
人の後につき従う,が転じて,こびへつらう,
となる。だから,いずれも,自分を
ワンダウン
して,相手を持ち上げている。相手を実像以上に大きいということで,相手をうれしがらせている。はむきも,おべっかに似ている。
その意味では,から世辞があり,愛想があり,世辞がある,という感じなのだろうか。この場合,自分を下げないまま,口先だけで,相手を持ち上げているのが,巧言と甘言ということになる。その意味で,これは,前捌きで,テクニックで,おのれは脇において,相手だけを持ち上げている。まあ,自分はニュートラルにおいているということになる。
お世辞も,お愛想も,もし,巧言,甘言のように,本当に口先だけではなく,おのれをワンダウンして,言っているとすれば,その瞬間に,ただの追従に化している可能性がある。もしそれに無意識なら,ちょっと始末が悪い。
たぶん,自分を持しつつ,口先だけで,相手を持ち上げる,というわけには,なかなかいかない。だからこそ,苦労するのかもしれない。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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