2015年02月19日
悲しみ
ふいと,
汚れっちまった悲しみに
というフレーズが,口をついて出ることがある。有名な,中原中也の,
汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる(『山羊の歌』)
の冒頭である。つづいて,
汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる
汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れっちまった悲しみは
懈怠けだいのうちに死を夢む
汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気おじけづき
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
と続く。僕は,ずっと,このフレーズの「悲しみ」を,「哀しみ」とも違う感情,切ない嘆きのように受け止めてきた。本来の解釈ではないかもしれないが,自分の「かなしみ」を,使い古された「悲しみ」という言葉でしか表現できない自分自身への焦れのように感じていた。
だから,「汚れっちまった悲しみ」が繰り返し,何かに喩え,何かに言い換え,何かに仮託して,しかし,結局ピタリとくる,いい言葉にもいい喩えにも出会えず,
なすところもなく日は暮れる
しかないと嘆いているのである,と。
「悲しい」は,語源として,前にも書いた気がするが,三説あるらしい。
ひとつは,「カネ(困難,不可能)+シ」で,「~しかねる」の,力が及ばず,何もできない切ない気持ちの「カネ」に,シが加わった語(大野説)
もうひとつは,「かな(感動助詞)+し」で,感動が強く迫る意を表す。
通説とされているのは,「カナシ(愛+シ)」で,感動が強くて激しく心に迫って,ゆすぶられ何もすることができない意。
しかし,古語辞典を見ると,
「愛し」は,身に染みていとおしい,可愛い,強く心惹かれる,感心する,
の意で,
「悲し」は,可愛そうだ,気の毒だ,残念だ,
となっている。もともと「かなし」としか表現できない,和語の貧しさに,「悲」と「愛」の字を当てて,意味が広がり,乖離していったのではないか。用例を見ると,
「愛し」は,万葉集に,「妻子(めこ)みれば,かなしくめぐし」があるので,最初は,この意味だったはずで,漢字を当てることで,繊細な心を表現する言葉を手に入れた,という感じがする。その意味で,通説が,実体に近いのではないか。
「愛」の字を構成する「旡」(カイ・キ)の字は,
人の胸をつまらせて後ろにのけぞったさま
で,「愛」は,
「心+夂(足を引きずる)+旡」
で,心が切なく足もそぞろに進まないさま。意味は,
いとおしむ
めでる
おしむ
可愛がる
で,この「愛」の字を当てることで,この漢字の意味の方へ「かなし」がシフトしていった,ということがよくわかる。
「悲」は,
「心+非」で,
「非」は,羽が左右に反対に開いたさま,両方に割れる意を含んでいる。で,「悲」は,心が調和統一を失って胸が裂けること,胸が裂けるような切ない感じ,という意味になる。だから,「悲」の意味は,
かなしい
あわれみ
になる。おなじ「かなしい」でも,
「哀」は,
「口+衣」で,
「衣」は,かぶせて隠す意。で,「哀」は,思いを胸中におさえ,口を隠してむせぶこと,という意味になる。「哀」の意味は,
(あるおもいのために胸のつかえた気持ち)あわれ,せつない,
(かわいそうで胸が詰まるような気持ちになる)あわれむ,
(つらくて胸のつかえた気持ち)かなしみ,
となる。だから,「悲しい」と書くのと,「哀しい」と書くのでは,意味が違ってくる。漢字がなければ,「かなしい」の意味は,すごく薄っぺらだったに違いない。あるいは,「哀」「悲」の字を知ってから,そういう感情の機微を知ったのかもしれない,季節感を知ったように。そのことは,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/406252031.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/406309247.html
で書いた。
心や思いを表現する言葉を探しあぐね,和語には語彙が足らず,必然的に漢語をひたすら借りて,さらには造語した。今日のカタカナ語もまた,そういう表現欲求の結果である。それだけ,固有の和語が,貧弱であることのあかしである。もともと文字をもたない民族であった。それゆえにこそ,言語化には貪欲なのかもしれない。
参考文献;
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
金田一京助・春彦監修『古語辞典』(三省堂)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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