2015年02月21日
感謝
感謝というのは,
有り難く感じて,謝意を評すること
という意味である。
ありがとう,
と言う。この「ありがとう」については,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163565.html
で書いた。別に,「お陰様」という言い方もする。これについても,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163470.html
に書いた。「お陰様」と「ありがとう」は,微妙な差がある。あるが,相手への感謝にかわりはない。
感謝は,
「感(感じる)+謝(礼をいう)」
だが,「感」は,
「心+咸」
「咸」は,戈で,ショックを与えて口を閉じさせること,
で,「緘(とじる)」の原字。で,「感」は,
心を強く動かすこと,
で,
強い打撃や刺激を与える,
という意を含んでいるようだ。だから,
強く心にこたえる(「感銘」)
強く相手の心を打つ
強く心にこたえるもの
神経の刺激によって得るもの,感じ,感覚
寒暑や環境のショックを受けること
といった意味になる。一方,「謝」は,
「射」が,はりつめた矢を手から離しているさま,
弓の緊張が解けてゆるむ
という意味で,「言」をつけることで,「謝」は,
言葉に表すことによって,負担や緊張をといて,気楽になること,
という意味になる。で,
あやまる,心の負担をおろしてせいせいできるように,礼,お詫びの意を表す(「謝謝」「謝礼」)
断る,言い訳をしてことわって心の負担をおろす(「謝絶」)
御礼,またはお詫びの気持ち,またはそれをあらわす金品(「薄謝」)
つげる,言葉を飾っていう
勢いが抜けてさる(「代謝」)
張りつめて開いた花や葉が,緊張を解いてぐったりする(「凋謝))
多謝,謝謝
という意味になる。
こう見ると,
ありがとうございます,
とか
お蔭様で
と言いつつ,実は,感謝と言うのは,する側の,心理的負担というか,心理的負い目というか,その借りを返すという心理がなくもないことを,鋭く,「謝」の字自体が示しているようである。
だから,確かに,感謝と言うのは大事だし,お蔭様でという気持ちも重要だが,そこに,当てにしているものがあるとすると,そこには下心があることになる。
ではなく,本心から,
ありがとう
あるいは,
お蔭様で,
と言える心性というのは,どういうものなのだろう。
たとえば,その関係そのものの中にいるのではなく,それを俯瞰する位置に自分を上げたとき,そこから見ると,感謝の意味が変わるのではないか。
誰かに,
とか,
何について,
とか,
ではなく,感謝自体の意味が見えてくる。そのとき,実は,
心の負担があるから,感謝するのではない,
逆に,
感謝すると,心に負担があったかのように感じる,
ということなのではないか。
心に負担はないが,
感謝した瞬間,
まるで心の負担が軽くなったような気持ちになる,と言うところが見えてくるような気がする。
つまり,感謝は,誰かのために,あるいは,何かのために,するのではなく,
感謝自体のために感謝する,
まるで心に何か負担があったかのように,その瞬間心が軽くなる。たとえば,
ありがとう,
あるいは,
お蔭様で,
と言うことで,あたかも,何かひとつ心の重荷が取れて,軽くなったような気になる。そういう効果が,あるということなのではないか。ということは,そう口に出せば出すほど,なにやら,
心が軽くなっていく,
そんな心地なのではあるまいか。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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