2015年03月03日

シングルセッション


ブリーフ・セラピー研究会「解決志向アプローチによるシングルセッションセラピー 」(講師:田中ひな子先生)に伺ってきた。

「継続できる面接もあればそうでない面接もあります。クライエントははじめの面接で少しでも希望を見出すことができなければ離れていってしまうのが普通です。そこで一回の面接で必要なことをすべてするシングルセッションセラピーのスタンスが必要になってきます。
解決志向アプローチは初回面接でゴール設定から行動課題の提示まで行うプラグマティックな手法であり、シングルセッションセラピーと親和性が高いです。また、社会構成主義の観点から「カウンセリングのゴールとは何か」という根本的な問いや「いかに言葉がその人の現実をつくるか」といったことを改めて見つめ直します。」

と案内文にあった。田中ひな子先生については,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163109.html

http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163304.html

等々,何度か触れてきた。また再確認の意味で伺ったが,結局,

どうなったらいいのか,

何ができているのか,

ということを明らかにしていくことで,

その明らかにする言葉で,明らかになった現実が見えてくる,

ということをしているのだという,その会話の威力を再確認させられた。それは,そういう言葉で,可能な現実を紡ぎ出す,ということに等しい。

逆ラベル,

というと変だが,

マザコン

というラベルを貼るか,

母親を愛している,

というラベルを張るかで,見えてくる世界が一変する。あるいは,

クライエントの抵抗,

とみるか,

抵抗というカタチで(セラピストに)協力しようとしている,

と見るかで,クライエントが放つセラピストへの反発も意味が変わってくる。ソリューション・フォーカスト・アプローチの開発者スティーブ・ド・シェイザーは,

抵抗の死,

と表現し,セラピストが気づいていないことをそういう形で(クライエントが)表現しているという言い方をしているそうである。そういう言葉で,現実を捉えるというより,そういう,現実を作る,

言葉で現実をつくる,

という言い方が妥当なのかもしれない,という社会構成主義のもつ現実をも再確認させていただいた。

「会話を通して,解決という現実を構成する話をすることで現実が変っていく」

と言い換えてもいいし,レジュメにあった,アンダーソンの,

「大切なのは変化を起こすことではなく,会話のための空間を広げていくことである。治療における変化とは,対話を通して新しい物語を作ることを意味する。そして対話が進むにつれ,まったく新しい物語,『それまで語られなかった』ストーリーが,相互の協力によって創造される」

という言い方をしてもいいのかもしれない。

だからスケーリング・クエスチョンも,10~0で,仮に「0」とクライエントが答えたとしても,

「マイナス」でないのは,何があるからなのか,

と,たずねていく姿勢である。だからこそ,改めて,

「すべてのクライエントは自分たちの問題を解決するのに必要なリソース(資源)と強さをもっており,自分たちにとって何が良いことかを知っており,またそれを望んでいて,彼らなりに精一杯やっているのだ」

という信念を前提にする。それは,

できる
あるいは
できている
あるいは
しようとしている

ということを前提にすべての問いが成り立っているということである。

「何を信じているか」が「どのように見るか」に影響を与え,「どのように見るか」が「何が見えるか」に影響を与え,「何が見えるか」が「何をするか」に影響を与える,

とは,セラピストの第一声で,決まるといってもいい。だから,

「どんなふうになるといいと思って,今日きましたか」

と聞くことは,よくなる,ということを前提にしている。だから,

「どのくらい,またどのようにして問題が解決することを期待していますか」
「何が,いまセラピーを受けるのがよいと判断させたのですか」
「セラピストはあなたが問題に対処するのをどのように助けになると思いますか」

と聞く。それは。セラピーの長さも,セラピストにどうしてほしいのかも,クライエントこそが決めるのだし,そうする力があなたにはあると(信じていると)伝えていることになる。

だから,

できていることがあるはずだという「例外探し」も,
できてしまったはずの未来のビジュアライズである「ミラクル・クエスチョン」も,
リソースに焦点を当てる「コンプリメント」(「どうしてそんなことができたのですか」「どうやってそれをやったのですか」)も,

すべてが,でき(てい)ることを拾い出すのではあるが,それは,できているはずだし,できるはずだと,信じているセラピストの信念の反映としての問いであり投げかけなのだという一貫性が,クローズアップしてくる。

エクササイズで,

何を持っていますか,
何ができますか,

を連続質問するワークをしたが,そこには,相手のもっているものを探るという問いになるか,持っているはずだから見つけ出してくれという姿勢で問いかけるかでは,相手への印象が変る。

セッションの最後の,

「今日はありがとうございました。面接を終了する前に聞いておきたいのですが,私が質問もしなかったし,自分でも言わなかったけれども,いま,話しておきたい重要なことはありますか,あるいは聞いておきたいことはありますか」

言葉も,象徴的に聞こえる。

参考文献;
モーシィ・タルトン『シングル・セッション・セラピー』(金剛出版)








今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm

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