2015年03月04日
場打て
場打て,
という言葉が,岡本綺堂の小説を読んでいたら出てきた。昨今はあまり耳慣れないが,
その場の空気や様子に圧倒されて気後れのすること。
という意味らしく,
「少しも場打てのした容子もなく、すらりと立って」(里見弴『多情仏心』)
「こんな古風な爺さんとは殆んど出会つた事がないのだから,最初から多少場打ての気味で辟易して居た所へ」(夏目漱石『吾輩は猫である』)
「弁舌さわやか場打てせず」
といった用例が出ている。ただし,用例は,明治,大正期の作家までのようだ。ニュアンスとして,「あがる」の意味より少し強い感じがある。
(人前で)その場の晴れがましい雰囲気に気おくれがすること。
という説明もあるところから見ると,どうやら,その場が,
特別の場
であるらしい。綺堂の小説では,司法試験の試験会場であった。しかし,その語源が,調べた限りではわからない。古語辞典では,
その場のありさまに心打たれておじけるること
場おじ
気後れすること
とあり,「大いに心を苦しめ場打てして思ひけるは」という用例が出ている。現代の辞典では,手元の『広辞苑』には出ているが,他の辞典には出ていないのもある。
「場おじ」
という言いようなら,その場に,その雰囲気に,怖気づいたという意味では,よく分かる。「場打て」の,「打て」が鍵かも知れない。で,「打」は,と調べると,
「丁」は,もと釘の頭を示す,□印であった。直角にうちつける意を含む。
「手+丁」
で,とんとんうつ動作を表す。そこから,
うつ。直角にうち当てるまともにたたく
自分の所有とする
動詞のうえについて,~する意。「打掃」「打畳」
~から
ダース
という意味で,関係ないかもしれないが,「打掃」「打畳」の使い方が,
打ち払う,
打ちのめす
打ち続く
と動作を強める使い方の「打ち」につながっているのではないか,と勝手に想像した。その意味の,「打ち」は,
その意を強める,
のほかに,
瞬間的な動作であることを示す,
として,「打ち見る」のような用例があった。
閑話休題。
漢字の「打つ」ではなく,日本語の「うつ」の語源を調べると,
「手の力で強く打撃する」
からきているらしい。ウツは,アツ,ブツ,などのウ,アの語幹と関連し,
畠を打つ,太鼓を打つ,刃物を打つ,振り仮名を打つ,首を打つ,心を打つ,水を打つ,碁を打つ,舌鼓を打つ,蕎麦を打つ,非の打ちどころがない,網を打つ,芝居を打つ,手を打つ,布を打つ,博奕を打つ,
等々とものすごく幅広い使われ方がある。ためしに辞書で「打つ」を引くと,用例の多さに圧倒される。「手を使う」ものがほとんど入っているという感じである。これは,「打」を当ててはいるが,漢字の「打」の意味を超えている気がする。むしろ,喩え的に,幅広く応用した感じである(広く「あることを行う」にまで転じている)。蛇足ながら,「水を撒く」よりは,「水を打つ」の言葉のもつニュアンスを大事にした気がしてならない。そういう意味で用例が広がったのではないか。
ただ「打つ」に,
強い感動を与える
という意味で,「胸を打つ」「心を打つ」という使い方があり,この場合「打たれる」(「討」「撃」「射」は当てない)という受身の言い方で,
打撃を受ける,
押しつぶされる,
負ける
誓約を破って罰を受ける
気を呑まれる
気圧される,
等々の意味があり,「場打て」の意味としては,
場に気おされて,おじける,押し潰される,
ということにつながってくる。その意味では,類語として,
力む,強がる,気合い負け,気が引ける,気圧される,ステージ・フライト,場臆れする,上がる,
等々とあるが,
場臆れする
ステージフライト
舞台負け
というか,
その場に呑まれる,
と言うのが一番ぴたりとくる感じである。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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