2015年03月10日
もてなし
おもてなし
とさんざん吹聴されたが,そう口にしている連中に,(国民への)もてなしごころは持ち合わせはないらしい。まあ,そういうのを外面がいい,という。
「もてなし」は,語源的には,
「持て+成す」
で,取り持って行動すること,こころを込めて客を大事にして御馳走すること,という。しかし,
取り持って行動する
ことが,どうして,
御馳走
という意味になるのかが,見えない。『古語辞典』によると,「もてなし」は,
モテは接頭語,相手の状態をそのまま大切に保ちながら,それに対して意図的に働きかけて処置する,
という意,とあり,その意味として,
物に手を加えず,あるままに生かして使う。相手をいためないように大事に扱う
相手に対していろいろ面倒をみる
物事に対処する,ものごとを処置する
接待する,馳走する
扱う,見せかける
という意味で,その他に,
とりなす,
世話する,引き立てる
もてはやす
そぶりをする,
といった意味もある。どうやら,
相手を大事にする,
という意図があり(その場合の相手は「人」とは限らない),それに対して,こちら側の姿勢次第で,
面倒を見たり,
引き立てたり,
御馳走したり,
となる。その意味では,御馳走は,もてなしの一部に過ぎない。類語は,
御馳走
ふるまい
饗応(供応)
といった感じになる。「馳走」は,
「チ(馳せる)+走(はしる)」
で,駆け回って心を尽くす,
という意味で,駆け回って,奔走するという意味合いが強く,ここでも,直接的な酒食による供応は,その対応の一つに過ぎない。
ふるまいは,語源的には,
「振るひ+舞う」
で,鳥が羽を動かして飛び回る,意で,どちらかというと,人目に立つ行動,という意味が強く,
人目につくような勝手な行動をする,思いのままの挙動をする,
ある心づもりをもって身を処する,
用意し身構えて行動する,
という意味が最初に来て,最後に,
人をもてなす,御馳走する,
が加わる。「大盤振る舞い」という言い方がある。元来は,「椀飯振舞」と当てて,
江戸時代,一家の主人が正月などに親類縁者を招いて御馳走をふるまったこと,
を意味し,目立つというか,忙しく供応する,という振る舞いに焦点が当たっていなくもない。
「饗応」も,
響きが声に応ずるように,人の意を体してすぐさま行動を起こすこと,
という意味である。『古語辞典』でも,
相手をもてなすこと
相手の気に入るように調子を合わせること
とあり,酒宴の意味は,派生的のようである。ただ,「饗」の字には,
「郷+食」
だが,「郷」の字の原字は,「卿」で,「ごちそう(皀)の両側に人がひざまずいて向かい合ったさま」を示す会意文字。「郷」は,「邑+卿の略体」で,向かい合ったむらざと,「饗」は,「食+郷」で,向かい合って食事をすること,という意味がある。「供」の字も当てるが,「共」は,「□印(あるもの)+両手」の会意文字で,供の原字。□印で示されたあるものを左右の両手で,うやうやしくささげるさまを示す,捧げる動作は,両手を同時に動かすため,共は,共にの意味に転じた,という。
こう見ると,「もてなし」とその類語も,酒食でもてなしたり,御馳走を供する,というよりは,
相手への姿勢,
を指している。その場合,「おもてなし」とは,
客に対して心のこもった待遇や歓待やサービスをすること,
ではなく,それはただの一面に過ぎず,あるのは,
相手を大事にする,
という心映えだったのではないか,と思う。その心映えは,
ハレ
だけで示されるものではない。日々,民をいたぶり,玩ぶ心に,そういう心映えはなく,原義通りの,ただの,
振る舞い,
つまり,
外面だけの目立つ行為,
にしか見えない。心映えについては,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163582.html
で書いた。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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