よし
よしなしごと,
の「よし」である。「よしなし(由無し)」は,
手掛かりがない
関係がない
根拠が薄い
くだらない
つまらない
といった意味であるが,「~という由で」「~された由で」という言い方をする,「由」は,古語辞典では,
「『寄(よし)』と同根。物の本質や根本に近寄せ,関係づけるものの意。つまり,口実,かこつけ,てがかり,伝聞した事情・体裁などの意。類語『故(ゆゑ』は,ものごとの本質的・根本的な深い原因・理由・事情・由来の意。」
と,ことわりがある。どうも,「由」と「故」の違いが判らない。それは,後で確かめるとして,まず,「由(よし)」は,
口実・かこつけ
わけ・理由
てがかり
伝えられた事情
趣旨
(平安女流文学で,「ゆゑ」と区別して)二流以下の血統,またその人の風情・趣向・教養・人品
体裁。格好
といった意味になる。語源的にも,
「寄す」の名詞形
とされ,ものごとの拠り所とされる事柄,由緒の意とされる。ついでに,「寄し」はというと,
「由と同根」
とあって,
統治者としてゆだねる,まかす,
近寄らせる,
関係があると(世間で)噂する
とある。そういえば,「何々の由」というとき,少しく,風聞のニュアンスを含めている。明確であれば,「何々の故」という言い方をしそうだ。では,「ゆゑ」は,というと,
「本質的・根本的な深い理由・原因・由来の意。平安女流文学では,由緒正しいこと,一流の血統であること,またその人に見られる一流の風情・趣味・教養などをいい,二流のものはよし(由・縁)といって区別した」
ということわりがあり,
重大な深い理由,確かな原因
正しい由緒
一流の血筋
一流の趣味・嗜好
一流の風情・雅趣
と意味が並ぶ。話は違うが,今日の意味での血筋とは違う。血筋たるべく,血の滲むような教養と修業を積む。
豊臣秀頼は,その血筋たるべく努力を重ね。今日残る墨跡に,その「ゆゑ」が明白に残る。ここで言う,一流とは,ただの血筋ではない。血筋だけを誇る手合いの体たらくは,今日日々目撃させられ,世界の笑いものになっている。ここで血統とは,その血統であれば,それなりの教養と修業を積む機会が与えられたであろう,という前提である。それが身分社会というものらしい。ちょっと話は違うが,八丁堀同心というと,『必殺仕事人』の中村主水を思い浮かべるが,八丁堀組屋敷内に道場があったぐらい,日々必要な鍛錬を怠らない。怠れば,その役にふさわしくない,と見なされる。それは致仕せざるを得ないことを意味する。身分社会とは,その身分に安住し,のほほんとしていることではない。ピンからキリまで,その役目にある限り,果たさねばならない責務がある。それを果たすべく,努力を怠らない。だから,江戸時代,主君が主君の任を果たさなければ,家臣が押し込め(「主君押込」),無理やり隠居させた例すらある。
ここで「ゆゑ」というのは,そういう重みがある。ゆゑを「一流」とするにはそれなりの所以があるのである。因みに,「ゆえん」とは,
故ニナリがつまって,ユエンナリとして使われ,ついでユエンだけが独立して使われるようになった,
とある。そうすると,所以もまた,確たる例証,根拠なく,使うと,語の定義からすると,誤用になるのかもしれない。
ついでに,「縁」を調べると,
因果の法則の直接的原因を助けて結果を生じさせる間接的原因としての補助的条件。またこの二つの原因を合わせて,因とも縁ともいう。
なるほど,直接的原因ではないから,「由」と類縁なのか。
縁は異なもの味なもの
という「縁」は直接的な結縁ではないが,男女をつなげる不思議な因縁とは,なかなか微妙である。
「よしなし」も,ただつまらない,という意味ではなさそうである。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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