2015年04月02日
責任
(http://gendai.ismedia.jp/articles/print/11152?page=2より)
添田孝史『原発と大津波 警告を葬った人々』を読む。
プロローグのエピソードがすべてを語っている。
「(阪神・淡路大震災の)前年の94年,米・カリフォルニア州ノースリッジの地震で高速道路が崩壊した。このとき,日本の耐震工学の専門家は『あれくらいで日本の構造物は壊れません。最大の理由は,地震や地震災害に対する知識レベルの高さ』」
と大口をたたいた翌年,最新の基準でつくられた高速道路,新幹線の橋脚,ビルまでが大きな被害が起きた。それと同じことが,先の東北地方太平洋沖地震で,「想定外」という言葉で,専門家の安全保証が,何の役にも立たないことを,再び,明るみに出した。
問題は,そういう専門性の是非ではない。専門性の名を借りた,隠蔽こそが,根源にある。それは,,
「原発は最新の地震学の知識を反映しておらず,設計で想定した以上の地震に襲われて事故を起こす可能性がある」
にも拘らず,経済性を隠れ蓑に,対処を怠り続け,そのことを隠蔽し続けてきたことにある。ドイツの公共放送ZDFが,日本政府と原子力産業を「情報隠蔽と改竄の常習犯」と,報じた通りなのである。
本書は,主として,東電の隠蔽とごまかしの,福島原発事故の前史である。本書は,
「プレートテクニクス理論以前の時代に造られた福島第一原発において,その後の科学の発展の成果を取り入れて津波想定を見直し,改良していくことはどうしてできなかったのだろう。」
という当たり前の疑問から,検証していく。
「原発は地震が来ても安全だ」
という神話がひとり歩き,というより喧伝し,そう思い込ませてきた,というのが正しい。今日,明らかになっているのは,2006年の第一次安倍内閣当時の,安倍首相の,「全電源喪失したらどうなるのか」という質問に,
「御指摘のような事態が生じないよう安全の確保には万全を期しているところである。」
と,例によって,口先三寸の嘘を並べたことが知られているが,その口が,原発の再稼働について,
「再稼働に求められる安全性は確保されている。」
と,述べている。同じことが,あんな大災害の後でも,繰り返されていることに,絶望感にかられる。本書の前史は,いかに,東電が,(ひいては政府・官僚が)噓と方便を繰り返してきたかが,詳述されている。
詳しくは,本書に譲るが,東電の対応のひどさと対比すると,同じエリアにあった,女川原発と東海原発は,対応を取っていた。
日本原子力発電は,茨城県が,津波浸水予測を,延宝房総沖地震(1677年)を基準に,
「房総沖から茨城沖まで伸びる震源域で発生した場合(M八・三)を予測。その結果,東海第二原発(日本電源)の地点では,予想される津波高さが5.72メートルとなり,原電が土木学会手法で想定していた4.8メートルを上回った。」
と,
「茨城県に自社よりも厳しい津波想定を公表されてしまい,原電は対策見直しを余儀なくされる。そこで津波に備えて側壁をかさ上げする工事を2009年七月に開始し,工事が終了したのは,東北地方太平洋沖地震のわずか二日前だった。」
という。長期評価にもとづく茨城県の予測に備えていなければ,
「東海第二原発もメルトダウンしていた可能性は高い。」
のだという。わずか二日の差でも,対策に踏み切った決断は生きた。また,
「東北電力の女川原発も,地震本部が津波地震の一つとしてとりあげた三陸沖地震(1611年)がもっとも大きな津波をもたらすとして,以前から対策をとっていた。」
東北電力は,「海岸施設研究委員会」を設けて議論し,
「『明治三陸津波や昭和サンリツ津波よりも震源が南にある地震,例えば貞観や慶長などの地震による津波の波高はもっと大きくなることもあるだろう』といった検討の結果,たかさを14.8メートルにすることを決めた」
という。これについては,同社の平井弥之助副社長が,「貞観津波を配慮せよ」と主張していたのが強く働いた,とある。さらに,中部電力の浜岡原発も,厳しい津波を想定していた。
「したがって,長期評価の津波地震に備えていなかったのは東電だけであった。」
他の電力会社は,予想し,対策することが出来た。東電は,しないことを意思決定していた,と見るほかはない。
しかも,福島県は,野村総研に依頼して,地震・津波被害想定の報告書を受け取り,
「福島第一原発に設計で想定していた約1.7倍り高さ5.8メートルの津波が襲来するという計算結果」
を得ていたにもかかわらず,(茨城県と違い)何の行動もとらないことで,真偽はわからないが,東電の糊塗と先延ばしに手を貸した。著者は,
「水俣病の公式確認の四年前,熊本県はチッソ水俣工場の排水分析や被害調査の必要性に気づいていたが,結局実施しなかった。その出来事を彷彿させる。」
と書く。国の姿勢,官僚の姿勢に,水俣病との対比を語る人が多いが,鼻血事件や,甲状腺がんが早くも兆しを見せているのに,平然と帰還事業を推進する,国や県は,明らかに,水俣病より悪質で,悪意に満ちている。
東電は,何度も高い津波の数値を手にしてきた。2008年のシュミレーションでは,15.7メートルの津波が来る可能性があると判ったにもかかわらず,それを受けた,当時原子力設備管理部長であった吉田昌郎氏は,
「このような高い津波はこないだろう。」
と,(根拠もなく)判断し,それを最終報告に盛り込むことをやめた。その後,吉田氏は,福島第一原発所長として,こないはずの大津波と対峙する羽目になる。著者は,
「東電の2008年三月期決算は,柏崎刈羽原発が地震で全面停止した影響で28年ぶりに赤字に転落していた。また柏崎刈羽の補修や耐震補強に4000億円以上かかる見通しだったからだ。」
と推測する。せめて,予備バッテリーでも備えていれば,全電源喪失時に,当時,自動車のバッテリーをつなごうと悪戦苦闘していたことを思えば,対応することはできたはずだ。
しかし,1994年七省庁がまとめた手引きで,すでに原発の津波予想をし,
「宮城沖から房総半島沖までの領域」
で,1667年の延宝房総沖地震(M八.〇)のような津波地震が起きる可能性を示唆し,福島第一原発で津波高が13.6メートルになる,としていた。実際に起きた東北地方宮城沖地震の13メートルを予想していた。しかし,東電のしたことは,原発対策ではなく,旧通産省を通じて,
圧力を掛け,手引きを書き直し,
させようとした。
著者は,地震の二日後の社長記者会見で,
「想定を大きく超える津波だった。」
との発言を聞いて,「頭に血が上った」と言う。知っていて,しなかった不作為を想定外,と言いくるめたのだ。しかし,国会事故調も,政府事故調も,そして検察も,事実上取るべき対策を取らなかったことについては,「予想できなかった」として,誰をも免責にし,結果誰一人責任を取らなかった。
にも拘らず,「安全」を理由に,再稼働へとひた走る。何一つ事故の検証がなされないまま再稼働すれば,再び同じことが起きる可能性は大きい,危惧が拭えない。
参考文献;
添田孝史『原発と大津波 警告を葬った人々』(岩波新書)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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