2015年04月10日
堅実に
「粛々と」については,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/416946633.html?1428437361
で書いた。ところが,「粛々と」
が不評(?)だから,というので,これからは,
菅官房長官は「粛々」を改め「適切に対応したい」
中谷防衛相も「堅実に進める」
と,表現に変えた,という。(もっとも,安部首相は,菅義偉官房長官の禁止発言から僅か2日で,国会答弁で「粛々」と発言したようだが,それも含めて)笑うしかないが,とても笑えないのである。
ちったぁ反省するなら,別の言いようもある。
「粛は,『自粛』のように行動などをつつしむ,「粛正」のように厳しく対処する,「静粛」のようにおごそか,静か、という意味で用いられる漢字。この「粛」を重ねた「粛々」は、静かなさま、おごそかなさまを表す言葉」(http://www.fleapedia.com/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/%E3%81%97/%E7%B2%9B%E7%B2%9B-%E7%B2%9B%E3%80%85%E3%81%A8%E3%81%AF-%E6%84%8F%E5%91%B3/)
等々と言われるのだから,
厳粛に,
か,あるいは,その含意を汲んで,
慎重に,
か
丁寧に,
か
謙虚に,
ならともかく,「堅実に」「適切に」とは,確実にそのまま進める,という意味でしかない。
「適切に」とは,
状況・目的などにぴったり当てはまる,
その場や物事にふさわしいことよく適合している,
という意味であり,「適合」とは,
ある条件や事情にぴったり当てはまること。である。その条件や事情が,民意や異論との適合でないことは,いままでの経緯からはっきりしている。
堅実とは,
手堅く確実なこと,
確かであぶなげのないこと,
つまりは,(妥協の余地なく)確実にしとげること,要は,
(いままで通り)やる(べき)ことを確実に,
と言っているだけだから,まあ,
有無を言わせず,
やることをやるということを,より露骨に,表明したに過ぎない。
「堅実」の「堅」の字の,「臤」は,臣下のように,体を緊張させてこわばる動作を示す。それに「土」を加えて,
固く締まって,壊したり,形を変えたりできないこと,
という意味である。「実」(「實」)は,「宀(やね)+周(いっぱい)+貝(たから)」で,
家の中に財宝を一杯満たす意,中身が一杯で書け目がないこと,
で,実る,とか,みちる,という意味になる。つまりは,形を変えられないほど膨らんでいる,という意味にもとれる。
「適」の字の,「啇」は,啻(ただ)の変形したもので,一つにまとめる,真っ直ぐ一本になった,という意を含む,という。それに「辶」(足の動作)を加えた「適」は,
真直ぐに一筋にまともに向かう,
という意味になる。
いずれの語意をひもといても,要は,何があってもひたすら突き進むという真意を,まあ,露骨に言い換えただけだ。こういうのを,
語るに落ちる,
と言うのではあるまいか。
それにしても,この政権が権力を握ってから,話し合って何事をも決める,ということを全くと言っていいほど,しようとしない。それについては,ほぼ一貫した政権だ。稀に,被爆者の声を聞いたかと思うと,
見解の相違,
と切り捨てる。思えば,議論を戦わす,ということは,一切なくなったのではないか。
真意が伝わっていない,
ということを言い,
丁寧に説明する,
というが,「丁寧に説明する」ということが(丁寧に)説明することだと思っているとしか見えない。あるいは,
平然と噓を言う,
ことすら憚らない。よく聞いていると,ただ,
俺の言うこと(だけ)を聞け,
と言っているようだ。異論は,受け付けない。受け付けた例はない。終始一貫,
日本を取り戻す,
の路線を邁進している。それは,戦後レジームからの脱却ではなく,戦前への回帰であるとしか見えない。その追随者は,よほど戦前おいしい思いをしていた(裔)のだろう。その味が忘れられないに違いない。そう思うほか,この数年の進め方を理解のしようはない。
国民の意見を丁寧に聴く,
という手続すら,まっとうに踏まず,国会の議論は,
ニッキョウソ,ニッキョウソ,
と,ネトウヨそのものの野次で,質問者の質問を聞いていないか,すりかえて,たまに的を射たことを言われると,
逆切れ
し,議論を積み重ねないまま,閣議決定で,いわば,
こそこそと,
決定を積み重ね,国民を蚊帳の外に置いたまま,
秘密保護法,
をはじめとした
集団的自衛権,
戦争立法,
原発再稼働,
等々,これからは,
日米ガイドライン改訂,
派遣法改悪,
残業代ゼロ法案,
首切り自由化法案,
10%への消費税アップ,
等々,国民の間はおろか,国会ですら,まっとうに議論を尽くそうしたとは見えないし,これからもするようには思えない。そもそも真摯な質問に,
嘲笑
か,
野次
か,
すりかえ
か,
噓
か,
居眠りする
姿しか,テレビで見たことはない。ひたすら閣議で決めたことを,それこそ,
粛々と,
失礼,
堅実に,
手続の瑕疵がないことにだけ心がけて進めているように見える。批判を封じるためか,
メディアとの頻繁な会食,
メディアへの介入,
を繰り返し,メディアを幇間化していく。まさに,
常軌を逸している,
としかいいようがない。しかし,ほぼ,大半は,
無関心
である。無関心は,
容認,
であるという自覚があるのかどうかは知らない。
いまだけ,
かねだけ,
じぶんだけ,
の狭い範囲に,自閉している。その方が気楽だろう。しかし,
子のある親は,
子の未来にも,関心がないのだろうか。
ツイッターで,
20130729麻生「ナチスの手口に学べ」
20141226石破「戦争をするにあたって」
20150316三原「八紘一宇」
20150320安倍「我が軍」
20150325菅 (我が軍は)「誤りにはまったく当たらない」
と,並べてみた人がいる。言外の意図がはっきり見える。杞憂だろうか。杞憂であろうと,予兆にはリスクヘッジをするものだ。2000年問題への備えを笑った人がいたが,杞憂に終わったと笑えるのは,それに備えたからだ。いま,それに備えている人が何人いるのか。
せっかく戦後,
民があってこそ国がある,
に変ったのに,いまや,
国があってこそ民がある,
に逆回転しようとしている。そのつけは,子供の世代が,身をもって払うことになる。それを承知の上なら,もはや何をか言わんや,老耄のやつがれは,
お先に失礼,
するばかりである。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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