2015年04月12日
相槌
フィードバックを受けて,気づいたことがある。
相槌
である。正確には,
相槌の打ち方,
ではなく,打つ,
相槌の間(ま),
というか,
相槌の間合い,
である。うんとか,ええとか,ほほおとか,というやつである。これを打つタイミングのことである。実は,相手のペースに合わせるというとき,相手の呼吸やしゃべりのテンポを気にするが,実は,相手のしゃべりに対する反応のタイミングということはもあまり気にかけたことがなかった。どちらかというと,間(あいだ)を置きすぎると,反応として間が抜ける,という気がしていた。また,当然相手の話に興味を持ち,好奇心を持てば持つほど,前のめりになり,それで,それで,という姿勢になる。そうすると,当然,
相槌の間,
が間髪を入れずというか,相手の話の語尾を噛むような相槌の打ち方になる。それが,
早い,
と感じさせる,というフィードバックをいただいた。つまり,聴き手のテンポの速さは,聴き手の話し方ではなく,その人の相槌の間の早さ,というか速効性が,相手に速さを感じさせる,ということらしい。この指摘は,初めて受けた。
常々,自分の話のテンポが速いというか,早い反応をする,ということは,せっかちのせいもあって,意識していたし,テンポを合わせることも心がけてはいたが,相槌の間については,まったく考慮の外であった。
考えれば,話し手が,何か話して,その言葉尻を抑えるように,ほお,とか合いの手を入れられれば,一度ならともかく,相手にとっては,せかされている気分になり,心理的にも,老い掛けられる感じがするのは確かだ。
相槌(相鎚)は,
建築用の大きな木槌
鍛冶で,二人(たとえば,弟子が師と向かい合って)交互に鎚を打ち合わすこと。あいのつち。
相手の話にうなずいて巧みに調子を合わせること。
という意味があり,「相槌を打つ」という言い方で,
相手の話に同意のしるしを表してうなづく。相手の話に調子を合わせる。
という使い方をする。想像されるように,「相鎚」の語源は,
刀鍛冶で「相手の鎚の打ち手,相方」が語源。
とある。『大言海』は,というと,
「相は,相手の意か。又は閒鎚(あいづち)なるべきか」
とある。そして,
「鍛冶するに,焼きたる鐡を,師が,鎚にて打つ閒(あひ)に,加えて,弟子が,鎚を打ち入ること」
と意味を説明している。「閒(間)」である。「間」は,本来「閒」で,「門+月」。
「門の扉のすきまから月の見えることをあらわす」
とあり,「ふたつをわける」意味を含んでいる,という。「閑」の意でも用いられる,とも。別に,解字として,
「隙なり。門に从(したが)ひ,月に从(したが)ふ。門は夜閉づ,閉ぢて而して月光を見るは,是れ閒隙なり。日に从ひて『間』につくるは,非。」
とある。昼間,隙間から日を見ることはあるまい。意味は,
あいだ,ころおい,このごろ,しばし,まま,隙間,開き,差異,へだて,それる,
等々あるが,「あいだ」は,「隙間」のことだ。これについては,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/411224858.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/395727101.html
等々,何度か触れた。
相槌は,聞き手が話者に関心を持ち,理解していることを示し,聞き手が会話に積極的に参加していることを示すことでもある,
話し手が,相手が聴いている,と思う応答ではある。しかし,それにも,
間合いがいる,
らしい。間合いについては,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163431.html
でも触れたが,人との距離感のことであった。しかし,言葉と言葉のつながりの,応と答との,隙間のことでもある。話の接穂でもある。相手の話に即応しすぎると,相手の話のリズムではなくなる。間が合いすぎれば,次の話と噛む。ほんの一呼吸の間だが,コミュニケーションとは,
聴き手がどう応えるかで,話し手の話の中身が決定される,
という原則は,ここでも生きている。テンポは,中身でもある。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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