2015年04月13日
直感
直感については,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/388163385.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/409638012.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/414186733.html
については,何度か書いたが,その感度,というか敏感さについては,
姿勢について,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/417110159.html
感度について,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/417001594.html
でそれぞれ触れた。それと関わることだが,自分では,いままで,直感を飛ばしているつもりがないことが多い。かつて,
要約が上手い,
と言われたせいかもしれないが,自分では,
(相手の言ったことの)要約,
か,あるいは,
(相手の言ったことの)言い換え,
をフィードバックしているだけのつもりで,自分は直感ではないつもりだったが,そのときの相手は,
直感,
と受け止め,
自分の気づかないところに光を当てる,という感じでいつも受け止めていた,
と言われて,そう言われた本人が驚いた,いままでどういうつもりでフィードバックしていたのか,と逆に聞かれて,上記のように返事したのである。
確かに,直感と言えば言えるが,僕の意識の中では,
言葉を丸める(抽象化する)
か,
別の言葉に言い換える(準える),
という操作をしていただけである。
しかし,考えてみれば,要約というのは,KJ法で言う,グルーピング(集約したものを束ねる操作)に当たる。グルーピングというのは,(フィールドワークで)集めたカードの似たものを束ねて,それにネーミングを付ける,というか,カテゴライズすることだが,それは,いわば,
視点を変えている,
のに等しい。あるいは,抽象化するということは,ある意味チャンク(情報のまとまり)を上げるので,メタ・ポジションから見る,ということと同じことになる。まあ,視点を変える,という効果はある(当然チャンク・ダウンして,具体化するという,逆の操作もまた同じ効果がある)。
言い換えというのは,喩えやアナロジーと似ていて,一つのことを,別の言い方をすることになる。
泣き虫だね,
は,
心優しいね,
とか,
涙もろいね,
と言い換えれば,表裏裏返しになる。くだくだと,時系列の細部をシーケンシャルに,脱線しつつ語る話について,
AとBとCの流れの中で,Bだけが特異ですね,
と返せば,そこに焦点が当たる。それは,時系列の流れの最中に流されつつ描写していた当事者視点の,串カツに喩えるなら,
竹串の視点から,
現在から過去を見るというか,
豚肉か玉ねぎの視点に,
ヴューポイントを変えることになる。
その意味では,視点を変える効果があることに異存はないが,それが直感か,というと,いささか,異和感がある。あくまで,
左脳の言語感覚,
というか,ロジカルな概括というか,総括の思考でしかないからだ。しかし,とそこまで考えて思うのは,
喩
や
アナロジー
は,例えてみれば,デパートを縁日になぞらえたとすると,デパートと縁日の全体像の対比による,類比もあるが,
デパートというものの構成要素を,デパートという概念の下に(ツリー状に)ぶら下げた図
と,
縁日というものの構成要素を,縁日という概念の下に(ツリー状に)ぶら下げた図,
を,一瞬のうちに類推し,共通している者を見つけたからこそ,準えることができる。それは,洒落や駄洒落でも,似た構造(その要素が,ただの音韻や音感だけにしろ)を瞬時に頭の中で,対比しなければ,できない。
その意味で言えば,おやじギャグの神経回路のような直感が働いたと言えば,言える。それは,ある意味,音感の類似に敏感なおやじギャグの直感,といったものなのかもしれない(僕はおやじギャグは苦手だが)。しかし,その頭の働きを,
直感,
と呼ぶには,ちょっと抵抗がある。むしろ,
直観,
のパターン認識に近い気がする。さて,どうであろうか。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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