2015年04月28日
喩
喩
とは,
他の例を引いて、ある意味・内容をさとらせる。たとえ,
である。喩えについては,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/401399781.html
http://ppnetwork.seesaa.net/article/398240083.html
で触れたし,見立て,アナロジーについては,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/408700916.html
で触れた。ここでは,違う視点から考えたい。
たとえば,岡本綺堂や三田村鳶魚あたりのものを読んでいると,喩えが半端ではない。例を挙げると,
置いてけ堀の話の中で,本所で堀を探すのは,
高野山で今道心を尋ねるようなもの,
という言い回しが出る。今道心とは,
仏門に入ったばかりの者,という意味である。喩えは,
言いたいことを,
それに似た,
何か別のことで言う,ということだ。もともと言葉は,現実を丸める。丸めなくては,言語(この場合指示表現)にはならない。だから,ユング派の人は,言葉を覚えると,人は,
宙に浮く夢を見る,
というような言い方をする。現に,僕は,中空の木立の間を(平泳ぎ)泳ぐ夢をよく見た。それは単に泳ぎを覚えたころのことなのかもしれないが,少なくとも,言語化は,体に対して距離を取れなければ,言葉に置き換えられない。メタ・ポジションと言い換えてもいい。匂いを嗅いでいる瞬間と,その匂いを言語化するところとでは,匂いに対する距離が違う。たとえば,堀を探す,と似た距離を,同じ距離のもので,置き換えるとき,
かっぱ橋で柄杓を探す,
と言うか,
高野山で今道心を尋ねる,
というかは,時代背景(同時代の文化的文脈という意味も含めて)もあるが,個々人(読み手)の教養レベル(という文脈),ということもある。それは,泥道で難儀するのを,
粟津の木曾殿,
というレベルになると,その距離感が,よく分かる。言わずと知れた,木曽義仲の,最後の場面のことを喩えている。平家物語には,
「木曾殿はただ一騎、粟津の松原へぞ駆け給ふ。頃は正月二十一日、入相ばかりの事なるに、薄氷は張りたりけり。深田ありとも知らずして、馬をさつとうち入れたれば、馬の頭も見えざりけり。」
とある。同じ表現をするにも,泥道に足を取られた自分を見る目線と同じ距離感のところに,この例文がなければ,こういう喩はでない。
喩は,『大言海』には,
意の述べ尽くしがたき,或いは露わに言い難きを,他の物事を借り比べせて云う。
他事に擬(よそ)へて言う。
とある。
他のことにことよせて,
言うという意味もあるが,ここでは,前者のことを考えている。「他の物事を借りる」ためには,同じ(丸める)水準にあるものでなくてはならない。そして,その言い換えが,相手に伝わらなくてはならないので,(読み手かいし聴き手が)同じ文脈にいることが暗黙の内になくてはならない。
語源的には,「たとえる」は,
「タテ(立て)+トフ(問う)の下一段化」
で,対立物を立てて,問い比べる,という意味で,例を挙げて説明する,準える,という意味になる,とある。しかし,例を挙げるのは,具体例,抽象度の高い「概念」を,具体的例示を上げることで,それは,
例える,
であって,喩えるとは違う。僭越ながら,その認識プロセスが混同されている気がする。『古語辞典』には,「喩へ」について,
甲を直接的には説明しがたい場合に,別のものではあるが性質・状態などに共通点をもつ乙を提示し,甲と対比させることによって,甲の性質・状態などを知らせる意,
として,「なぞらえる」を意味として載せている。しかし,「喩ひ」をみると,
たとえ,例。
とある。あるいは,日本語では,
例示の例える
と,
なぞらえる「喩える」が,
混同されている,ということなのだろうか。たとえて言うと,「例える」は,
ツリー状に,上位の(概念の)下に,下位の具体的例示がぶら下がっている,
ということが言えるが,「喩える」は,
「甲」と「乙」(の概念が)が別々のツリーを構成し,その構成員としてぶら下がっている下位の例が,似ている(と対比できている),
というふうに対比できる。そもそも概念が違うのである。
では,「喩」はどうかと言うと,
「口+兪」で,
「兪」は,中身をくりぬいて作った丸木舟。邪魔な部分を抜き取る意。で,「喩」は,
疑問やしこりを抜き去ること,
とある。で,意味は,
さとす,
さとる,
疑問を解いてはっきりわからせる,
たとえる
例を引いて疑問を解く
たのしむ
が出ている。これを見る限り,「喩」の意味でも,例と喩は混同して使われているようだ。しかし,
「中身をくりぬく」
というのは,喩そのものではないか。
あることをいうのに,その中身を差し替えて言う,
と。その意味で,例だと,
その中身が,具体例を列挙することになる
が,喩だと,
(中身に別の)一つを入れ替える,
というようになる,と考えると,腑に落ちる。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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