2015年05月01日
をかし
おかしい
を『広辞苑』でひくと,
「をかし」として,
ヲ(招く)の形容詞形で,心惹かれ招きよせたい気がする意か,
とある。そして,大別,
①(「可笑しい」とも当てる)笑いを誘われるようなさま
②物事を観照と評価する気持ちで,「あはれ」が感傷性を含むのに対してより客観的に賞美する感情
に分けている。①の方は,
滑稽である,変だ・いぶかしい,変だ・変わっている,粗末である,
といった意味であり,②の方は,
心惹かれる気がする,面白い・興味がある,趣きがある・風情がある,かわいらしく愛すべきである,優れている,
といった意味になる。
語源を見ると,
古代語「ヲク(招・呼)」+シ(形容詞化)
で,思わず笑みがこぼれる心的状態になることをいう,とある。「平安時代の造語」とあり,
知的感動がある,
趣きがある,
という意味になる。
『古語辞典』をひくと,
「動詞ヲキ(招)の形容詞形。好意をもって招きよせたい気がするの意。ヲキ(招)・ヲカシの関係は,ユキ(行)・ユカシ,ヨリ(寄)・ヨラシ(宜,ヨロシとも)ナゲキ(歎)・ナゲカシの類。ヲカシをヲコ(愚)の形容詞化と見る説もあるが,平安中期以前のヲカシの数多くの例には,ヲコ(愚)のもつ道化て馬鹿馬鹿しく,あきれて嫌に思う気持ちの例はなく,むしろ好意的に興味をもって迎えたい気持ちで使うものが多い」
とある。結局辞典も編者の考え方ひとつで,こう偏りが出るものに違いはなく,この説によれば,「平安時代の造語」ではなく,そういう意味で使われるようになった,というのが近いのではないか,ということになる。
招きよせたい,
とは,主題側の心を見れば,
惹かれる,
ということになる。「惹かれる」のが,
趣きや風情
なのか,
その面白さ
なのか,
で意味がわかれる。
「あはれ」の対象に入り込むのとは異なり,対象を知的・批評的に観察し,鋭い感覚で対象をとらえることによって起こる情趣,
と説明されると,メタ・ポジションからの視点と聞こえる。それは,まさに,「面白い」の変化と似ている。
http://ppnetwork.seesaa.net/article/415405652.html?1426018728
で書いたように,「面白い」も滑稽さではなく,知的な面白さも含めていたと考えれば,面白いが滑稽の方にシフトしたように,「をかし」が「可笑し」にシフトしても別に驚かない。
平安時代,「もののあはれ」と対置的につかわれ(はじめ)た,「をかし」は,
「『もののあはれ』がしみじみとした情緒美を表すのに対し,『をかし』は明るい知性的な美と位置づけられ,景物を感覚的に捉え,主知的・客観的に表現する傾向を持ち,それゆえに鑑賞・批評の言葉として用いられた」
とされ,それが, 室町時代以降,滑稽味を帯びているという意味に変化した。世阿弥の使い方では,狂言の滑稽な様を「をかし」と呼んだそうだから,清少納言が「をかし」と使ったのとは,すでに,かなり変化したことになる。でも,まだ,そこには,
「品」
が残っていたのではないか。江戸時代の滑稽本でいう「をかし」とは,少し違うだろう。
ちょっと面白いのは,『大言海』が,また,特別な項目立てをしていて,
をかし(可笑)
と
をかし(可笑・可咲)
と
をかし(可愛)
とに分けていることだ。意味が変わったのだとしたら,確かに,これが正しい。
「可笑」は,こう説明する。
をかしきこと。滑稽なること。笑うべきこと。
「可笑・可咲」は,こう説明する。
(痴愚と通ず)をこなり。痴なるがごとく見えて笑うべし(笑うにも,嘲笑,鑑賞,侮弄の三つあり)。いぶかし。
「可愛」は,こう説明する。
物を愛ずる時は自ら笑まるるより転じて,愛ずべし,賞すべし,褒むべし,おもしろし。
それにつけてある注が,
かなしに,憂し,面白しの二義あるがごとく,咲,笑の字に,喜楽と侮弄との二義あり,わらうもまた二義を兼ねたり,
とある。なかなか含意が深い。
当たり前のことだが,辞書の編者も,知力を尽くしている。ひょっとすると,辞書を読み比べると,こんな,意味,解釈の奥行の差が出てくるのではないか。これこそがまさに,
をかし,
である。因みに,『大言海』の「わらふ」の項が面白い。
「わらふ」(笑・嗤・咲・嗤・莞・粲・噱・咍)
として,それぞれの漢字で,わらい分けてみせている。これについては,別途書いてみたくなった。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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