2015年05月03日

三つの声


「駒塚由衣江戸人情噺」を伺った折,作者の藤浦敦さんの話で,江戸ものなら,三田村鳶魚か岡本綺堂の随筆,と言われた。半七捕物帳は,推理がない,と散々であった。しかし,(いままで無視していたので)読み始めて見たら,

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たしかに,江戸風俗を知るにはいいが,推理物としては,少しプロセスが省かれていて,半七の頭の中で完結している具合であった。しかし,僭越ながら,「三つの声」はいい。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/998_15022.html

これは,今読んでも,読み応えがある。三つの声とは,

明け方,表戸越しに掛けられた声である。

一つ目は,

「庄さん、庄さん」
 これに夢を破られて、お国は寝床のなかから寝ぼけた声で答えた。
「内の人はもう出ましたよ」
 外ではそれぎり何も云わなかった。

二つ目は,

再び表の戸をたたく音がきこえた。
「おい、おい」
 今度はお国は眼をさまさなかった。二、三度もつづけて叩く音に、小僧の次八がようやく起きたが、かれも夢と現うつつの境にあるような寝ぼけ声で寝床の中から訊きいた。
「誰ですえ」
「おれだ、おれだ。平公は来なかったか」
 それが親方の庄五郎の声であると知って、次八はすぐに答えた。
「平さんは来ませんよ」
 外では、そうかと小声で云ったらしかったが、それぎりで黙ってしまった。

三つ目は,

間もなく、又もや戸をたたく音がきこえた。今度は叩き方がやや強かったので、お国も次八も同時に眼を醒ました。
「おかみさん。おかみさん」と、外では呼んだ。
「誰……。藤さんですかえ」と、お国は訊きいた。
「庄さんはどうしました」
「もうさっき出ましたよ」

この三つの声の表現の中に,すべてを含ませているところは,なかなかの妙手である。詳しくは,上記を読んでいただければいい。

『半七捕物帳』は、岡本綺堂による時代小説で,捕物帳連作の嚆矢とされる。というより,日本の推理小説の嚆矢といってもいい。

「1917年(大正6年)に博文館の雑誌『文芸倶楽部』で連載が始まり、大正年間は同誌を中心に、中断を経て1934年(昭和9年)から1937年(昭和12年)までは講談社の雑誌『講談倶楽部』を中心に、短編68作が発表された。」

とされている。

「綺堂は『シャーロック・ホームズ』を初めとする西洋の探偵小説についての造詣も深かったが、『半七捕物帳』は探偵小説としては推理を偶然に頼りすぎたり、事件そのものが誤解によるものだったりして、謎解きとしての面白さは左程ではないと言われる。しかし何作かは本格性の高い作品である。国産推理小説がほとんど存在しなかった時期に先駆的役割をつとめたことは確かである。」

という中での,「三つの声」である。

因みに,作中で『捕物帳』と言っているのは,

「町奉行所の御用部屋にある当座帳のようなもので,同心や与力の報告を書役が筆記した捜査記録をさしている。」

ので,後年の「右門捕物帳」等々,続く作家たちが使った「捕物帳」とは意味が違う。本来の「捕物帳」の意味を弁えていた,ということである。野村胡堂が『銭形平次捕物控』と,「捕物控」という言い方を使ったのには,たぶん意味がある。

推理小説で言う,「推理」は,野暮を言うようだが,

http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod0951.htm

で書いたように,筋の通り方には,

・意味の論理の筋
・事実の論理の筋

のふたつがある。前者を演繹,後者を推測(推測には,帰納,仮説,といった思考法がある),と呼ぶが,必ずしも,この「推理」の範疇にはおさまらない。ときに演繹的に,相手の論旨のほつれから解きほぐすときもある。

世界初の推理小説は,一般的にはエドガー・アラン・ポーの短編小説「モルグ街の殺人」(1841年)であるといわれるから,ほぼ半世紀遅れての登場ということになる。

僕は,ミステリーファンでも通でもないが,薦められて何冊か読んだなかでは,

アガサ・クリスティー『そして誰もいなくなった』,
ウィリアム・アイリッシュ『幻の女』,
エラリー・クイーン『Yの悲劇』,
F・W・クロフツ『樽』

等々が印象に残るが,僕は,中井英夫の,

『虚無への供物』

が一番である。ひねくれ者には,「反推理小説(アンチ・ミステリー)の傑作」と言われ,「推理小説でありながら推理小説であることを拒否する」という世評よりは,

メタ・ミステリー

であるというところがいい。ミステリーを俯瞰しつつ,ミステリーは,現実のなぞに較べたら,箱庭だ,と嘲笑うところがいい。

閑話休題。

話を綺堂にもどすと,『半七捕物帳』だけではないが,随所に,面白い言い回しが出てくる。特徴的なのは,

http://ppnetwork.seesaa.net/article/418053269.html?1430165639

http://ppnetwork.seesaa.net/article/418161213.html?1430333078

等々でも書いたが,たとえば,泥道で難渋したとき,

粟津の木曾殿,

という表現をする。こんな具合である。

「『粟津の木曽殿で、大変でしたろう。なにしろここらは躑躅の咲くまでは、江戸の人の足踏みするところじゃありませんよ。』
 まったく其頃の大久保は、霜解と雪解とで往来難渋の里であった。」

言わずと知れた,粟津で泥田に馬の足を取られて,討たれた木曽義仲を指している。平家物語には,

「木曾殿はただ一騎、粟津の松原へぞ駆け給ふ。頃は正月二十一日、入相ばかりの事なるに、薄氷張りたりけり。深田ありとも知らずして、馬をさつとうち入れたれば、馬の頭も見えざりけり。」

とある。その他,滑って転んで,

「とんだ孫右衛門よ」

と,『梅川忠兵衛』の実父の名が,ひょいと出る。切りがないが,

「小利口な五右衛門も定九郎も,みんな攘夷家に早変わり」

といったいい方が,さりげなく出る。芝居や古典の素養などというよりは,当時の読者には,それだけで,メタファーとして通じた(常識)ということに,いちいち躓き,調べているおのれが恥ずかしくなる。

最後に,個人的な印象だが,野村胡堂の「銭形平次」物に比べると,「半七捕物帳」の良さ,というか品と心映えがよくわかる。小説としても,「半七捕物帳」のほうがはるかに,上だと思う。前者は,横溝正史的で,言ってしまえば,けれんみたっぷりというか,嘘っぽい。半七は,確かに地味だが,江戸時代という現実に密着した,さりげない仕草,振る舞いにリアリティがある。それは,時代の制度,身分関係,風俗・文化の細部がよくわかっている,ということなのかもしれない。

参考文献;
岡本綺堂『半七捕物帳 三浦老人昔話 全82話完全版』(Kindle版)








今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
posted by Toshi at 04:49| Comment(0) | 読後感 | 更新情報をチェックする
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