2015年05月04日
いわれ
「いわれ」と「いわく」は似た意味である。
「いわれ」は
謂れ,
と当てる。「言われ」とも当てるが,
(動詞「い(言)う」の未然形+受身の助動詞「る」の連用形から)物事が起こったわけ,言われていること,来歴,理由,由緒,
という意味になる。「言う」を当てているが,本来は,「謂う」らしい。この違いは,
曰くについては,
http://ppnetwork.seesaa.net/article/405702636.html
で触れたので,多少重複するが,
「謂う」の「謂」は,「言+胃」で,「胃」は,
「まるい胃袋のなかに食べたものが点々とは言っているさま+肉」
で,「まるい胃袋」をさし,「言」を加えて,
口をまるくあけでものをいう
という意味になる。特に,人に対して言うのを指す。あるいは,その人を評するのにも使う。で,何かをめぐってものを言う時に使う。
「言」は,「辛(切れ目をつける刃物)+口」で,
はっきり角目をつけて発音すること,
をいう。
「曰」は,「口+乚印」で,
口の中から言葉が出てくることをしめす,
という。「謂」「話」と同系統で,口を丸く開けて言葉を出す意で,漢字を組み立てる際には,「曰」印は,言うという意に限らず,広く人間の行動を示す音符として使われる,とある。
「曰」が一番広い意味なのかもしれない。僕は,
曰く因縁
と思ってきたが,どうも,
謂れ因縁,
とも辞書(『広辞苑』)にはある。
語源的には,「いわれ」は,
「言は+る(受身)」の名詞形,
とある。「いわく」は,
「イハ(言ふの未然形)+ク(名詞化の接尾語)」で,
(~と)言うことには,の意が転じて,理由,事情を意味するようになった,とある。
曰くと謂れは,差がないようだが,あくまで憶測だが,
謂れ,
は,受身なので,伝聞というか,そのように言われてきた,というニュアンスがある。それは,主体の語りではなく,周囲に語られてきたこと,という感じである。
曰く,
は,未然形なので,
「まだそうではない」という意味であり,「そうしようとする」「そうなるだろう」
の意味が含まれていたのではないか。『孟子』の,「浩然の気」を問われての,
いわく言い難し,
がそれをよく表している。「言葉で言い表しようがない」という意味である。「曰く」の意味を見ると,
言うことには,
言うには,
という意味が,わけや,仔細という意味の他にある。
いわく因縁,
いわくつき,
というとき,
「ものごととの背後にある由来やいきさつ」
「何か特別の事情(前科や犯歴等々)のあること」
は,まだ「謂れ」にはなっていない。ここで,それを語り手が,言わないかぎり誰も知らない理由,ということである。それをこれから話すことで,「謂れ」になっていく。その意味で言えば,
謂れ,
と
曰く,
とは,まったく別のものではないか。とすると,一見,
謂れ因縁(物事の背後にある由来やいきさつ)
と
曰く因縁(物事の起こった由来)
と書くと,同じように見えて,まったく違うことになる。そうなると,
「謂われもなく」
は,何となくだが,その謂われのなさの意味がもう少し深まる気がする。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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