2015年05月06日

マグリット


マグリット展,

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http://magritte2015.jp/
http://www.nact.jp/exhibition_special/2015/magritte2015/

に伺ってきた。いまさら,トウシロウがうだうだ御託を並べるのも,巨人には失礼ながら,トウシロウ故に,まあ,多めに見ていただきたい。因みに,とうしろうとは,

しろうとの倒語だが,漢字では籐四郎と書く,

らしい。

観ながら感じたことは,実にわかりやすい,

創造性,

の見本だ,ということだ。

http://ppnetwork.seesaa.net/article/397065033.html

等々で,何度か触れたように,創造性とは,ヴァン・ファンジェの,

既存の要素の新しい組み合わせ,

であるが,川喜多二郎が喝破したように,

本来バラバラで異質なものを意味あるように結びつける,

ことである。もっと踏み込むと,

どんなものでもつなげることで新しい意味づけをしさえすればいい,

あるいは,

新しい意味が見つけられるなら何と何を結びつけてもいい,

と読み替えてもいい。となると,

結びつけ,

に意味があるのではなく,

意味づけ,

の方にウエイトがかかる。だから,ヴァン・ファンジェの言う,

既存の要素の新しい組み合わせ,

というのは,逆で,結びつけた結果,ただの,

既存の要素,

だったということなのであって,

新しい組み合わせ,

の「新しい意味」に意味がある。それは,いままで考えられなかったような意味を見つけ出すことがあって,そこで,初めて,要素のつながりに意味が見えてくる。それを,僕は,

新しい視界を開く,

と呼ぶ。マグリットの絵画は,

本人の言葉によれば,「目に見える思考」であり,世界が本来持っている神秘(不思議)を描かれたイメージとして提示したものである,

という。画家の後講釈程当てにならないものはない。むしろ,そう見てくれと言っているか,そう思い込んでいるだけかもしれない。作家が何と言おうと,

描かれた世界,

がすべてであり,世に出した瞬間,観るものに委ねられている。

一般に,マグリットの手法は,シュルレアリスムの,

デペイズマン (dépaysement)

である,とされている。この言葉の意味は,もともとは「異郷の地に送ること」という意味らしいが,

意外な組み合わせ,

によって,新たな世界を提示する,というものらしいのである。まさに,創造性は,組み合わせである,の見本である。ずいぶん昔,シュルレアリスムの真髄を,

「解剖台の上でのミシンとこうもりがさの不意の出会いのように美しい。」
(英訳;"beautiful as the chance meeting on a dissecting-table of a sewing-machine and an umbrella!")

という言葉(ロートレアモン『マルドロールの詩』)にある,と読んだ記憶がある。そう,改めて,組み合わせ,ということに目が向く。

そう思うと,マグリット回顧展の頂点は,戦後にある,と見える。それまで(の作品群)は,僭越ながら,助走にしか見えない。

例えば,「ゴルコンダ」(Golconda 1953)は,

http://matome.naver.jp/odai/2138762921202942901/2138763844907800403

雨と人との組み合わせである。組み合わされて,そこに,ひとつのシュールな世界,いままで誰も見たことのない,新しい世界が拓ける。そして,マグリットの作品は,「タイトル」もまた,組み合わせの一つになっている。タイトルと絵とを合わせた,世界なのである。「ゴルコンダ」とは,

「1687年にムガル帝国によって滅ぼされたインドの都市の名前で、かつて富で知られた、幻の都のような都市であったという。」

その言葉のもたらすイメージと一緒にゆっくり落ちてくる,いや,浮いている,と見えなくもない無数の男たち,その瞬間,(僕の場合は)映画『メリー・ポピンズ』の,チンチムニー. チンチムニー チンチムニー チンチムチェリ,と歌いながら,メリー・ポピンズが傘を差している姿が重なって,ひとつの世界が,開いていく。

あるいは,例えば,「白紙委任状」(Le Blanc-Seing 1965)

http://matome.naver.jp/odai/2138762921202942901/2138763844907799703

これについて,マグリットは,

「見える物は常に他の見える物を隠している。誰かが馬に乗って森を通り抜ける場合、その馬と人物はときどき見え、ときどき見えなくなる。だが、存在していることは察知できる。また馬と女性はときどき樹木を隠し、馬上の女性だけを隠すこともある。」

と語っているそうだが,僕には,キュビズム(いろいろな角度から見た物の形を一つの画面に収める)の延長戦上と見えた(パースペクティブの否定であることは同じ)。つまり,いま見ている視点と,その向こうに隠れているものを見る視点を同時化する,と。それは,視点と視点の共時化(組み合わせである)。それに,「白紙委任状」というタイトルとも共鳴というか,共振れする。まあ,観るものがどっちの視点で(観て)もいい,と。

展覧会は,出口近くに,象徴的に,「イメージの裏切り」(1929)

http://www.ggccaatt.net/2015/02/12/%E3%83%AB%E3%83%8D-%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88-%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%81%AE%E8%A3%8F%E5%88%87%E3%82%8A/

が置いてある。パイプの絵に,

Ceci n’est pas une pipe

という言葉が添えてあり,パイプの絵だが,パイプではない,と書き,タイトルは,イメージの裏切りである。確か,昔,ミシェル・フーコーが同名のタイトルの本を書いていて,マグリット分析をしていたはずだ。

この絵が,出口に置いてあるのも,なかなか含意が深い。

帰路,ついでに,隣の国展,

http://www.kokuten.com/

を覗いた。ちょっと気になった作品だけ拾い書きしてきた。

大沼映夫『白彩降臨』
城康夫『景・1502』
久保田裕『ひろしま』
津地威汎『航海・・海の歌・・』
寺田和幸『自然観察の方法』
花田勝太郎『15-3SpecimenA・B』

しかし,新しい視界というよりも,どこかデジャヴ感が拭えなかった(失礼!)

参考文献;
http://matome.naver.jp/odai/2138762921202942901
http://www.ggccaatt.net/2014/06/22/rene-magritte/






今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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posted by Toshi at 05:10| Comment(0) | 展覧会 | 更新情報をチェックする
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