2015年05月08日
やま
やまは,
山
だが,
山を掛ける,
とか
山を張る,
とか
山を当てる,
とか
山勘,
という言い方の「山」は,どこからきているのだろう,直感では,
山勘
の山が,山師から来ているのではないか。山師は,
鉱山師の略,
とある(『大言海』)。つまり,
鉱物の鉱脈を探っている人,
となるが,山事,つまり,
投機的または冒険的な事業,
をしている人から来ているのだろうか。
山勘,
は,あてずっぽうという意味だが,語源には諸説があって,
例の山本勘助から来ている,という説,
山を掛けた,勘,という説,
山師の勘,という説,
と,(山本勘助説は,山を張るが使われ出した近世以降とは時代が合わないので)どうも堂々巡りする。そのそも「やま」というのは,
野や里に対して,人の住まない所,
という意味で,語源的にははっきりせず,
「ヤマの二音節を分析せず,一語其のものとしてみる」
として,
高くそびえ,盛り上がったところがやま,
である。
神が降下し,また神が領有する神聖な地として信仰の対象,
とされ,近畿では,都を守る山として,比叡山を指す。よく,山車や山鋒を,
やま,
といったりするのは,そこから来ている。「やま」の意味は,
平地より高く隆起した地塊。通例,丘より高いもの,
を言う。で,山になぞらえて,
うず高く盛ったもの,
や物事の絶頂,
といった用例の他に,
(山師の仕事のように)万一の幸を願ってすること,
というのがある。「やま」のもつそういう意味は,
鉱山師が,やま(鉱山)を賭ける,
という意味から派生したとみるのが順当なのだろう。いまや,山師は,
ペテン師,
とほぼ同義になっている。
やま
自体は,本来神聖なもので,山そのものがご神体と考えてきたのだから,ある意味,そういう信仰心の薄れたところから,山自体が,投機の対象に堕した時期以降に,「山勘」の「やま」の意味が生まれたのだろう。
かつては,
山上がり,
という言葉があり,野辺の喪屋に忌籠りする意味の,「山」であった。いまや,たとえば,
山出し,
は,
山から材木・薪・炭などを運び出すこと。またその運び出したものや運び出す人足
田舎の出身であること。田舎から出てきたままで洗練されていないようす。
という意味だが,本来は,「やまいだし」で,
山から運び出す,
という意味である。後者の田舎者は,江戸時代以降である。戦国期を抜けて,山は,いつの間にか,金儲けの対象であり,山は,それにつれて,意味が蔑視に変っていくように見える。
宝の山
や
ごみの山
や
借金の山
となり,
山分け
の山に成って行く。山勘は,あるいは,鉱山師の目利きを意味したのかもしれない。しかし,山のイメージが変るにつれて,いかがわしい意味に堕していった,そんなことを想像してみる。
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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