2015年05月11日
ひとりぼっち
ひとりぼっちは,
ひとりぽっち,
とも言うが,
ひとり(独り,一人)+法師
つまり,
ひとりぼうし,
の訛ったもので,本来,
独法師
とあてる,という。で,
一人住みの法師,
から,
世間から取り残されてただ一人でいること,
という意味に転じた。法師は,
ほうし,
と読むが,法は,呉音ホフで,
ホフシ
とするのが正しいとある。で,
仏法に精通して人の師となる者。また僧の通称,
とある(『古語辞典』)。また,独法師は,
宗派・教団に属さなかったり,世俗を離脱した僧侶の境遇を称した,
とも言われるから,「ひとり」ということが強調されると,
ひとりで,
とか
ひとりだけで,
という感じになる。ぼっちは,
ぽち
の促音化したもの,とあり,
ぽっち
に同じとして,
指示代名詞や数量をあらわす名詞に付けて,「わずか~だけ」の意味になる。たとえば,
百円ぽっち,
というように。「ぽち」には,それに,
不足の気持ちを表す,
ともあるから,「たったこれっぽっち」という言い方には,その多寡の少なさを,言っている。
その意味では,まあ,多くは,
独法師
が,
ひとりほうし,
↓
ひとりぼっち,
と訛ったものとしているが,僕には,
(たった)ひとりぽっち(で),
という孤独な感じから,
ひとりぼっち,
となったと考えた方が,妥当のような気がする。で,
独法師
という文字を後から当てたのではないか,と勘繰りたくなる。
しかし,法師には,『広辞苑』も『大言海』も『古語辞典』も,
男の幼児,
という意味が載っている。昔男の児は頭髪を剃ったからと言う。だから,
ぼう,
とも読んだとある。(いまはどうか知らないが,かつては)確かに,男の子を,「ぼうず」とか「ぼう」と読んだ。『大言海』には,
昔男の子は,頭髪を剃れり,
と説明の後,
ぽっち,
ぽんち,
とある。ぽっちは,
坊稚
と当てて,法師の転,とあり,「ぽんち」は,やはり,
坊稚,
と当てて,法師の転で,法師の意味の,
男の子
を意味させている。つまり,ここからは,
一人でいる男の子,
という意味が浮かんでくる。その場合,法師は,僧のことではなく,
男の子,
を指し(そう言えば,自分の息子のことを「うちの坊主」という言い方もする),そういう意味で,独法師は,
一人でいる男の子,
を指し,その転じたもの,ということになる。だから,文字通り,「独法師」の転じたことには変わりはない,か。
と考えてきて,ふと思い出したが,例の,
だいだらぼっち,
のことである。柳田國男が,
別名,ダイダラボッチは「大人(おおひと)」を意味する「大太郎」に法師を付加した「大太郎法師」で、一寸法師の反対の意味である,
としている。この場合,「ぼっち」は,「法師」である。
だいらんぼう,
でいらんぼう,
デエダラボッチ,
デイラボッチャ,
タイタンボウ,
大太郎坊,
の「坊」に意味があるのではないか。『広辞苑』には,区画(「坊」は,「土+方」で,堤防の防と同じで,堤や壁で後に,四角く区切った街路の意,)や僧侶,男の幼児の意味の他に,
有る語に沿えて,親しみまたは嘲りの気持ちを込めて「~な人」「~する人」の意を表す語,
とあり,
風来坊,
けちん坊,
朝寝坊,
の使い方がある。「だいだら法師(ぼっち)」の「坊」は,それだろう。とすると,ぽっちには,
ひとり,
という意味と,
たったひとりぽっち,
という孤独感と,ひょっとすると,
嘲り,
の(「やぁい,ひとりぼっち」といった)ニュアンスがこもっていることになる。
参考文献;
金田一京助・春彦監修『古語辞典』(三省堂)辞典
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
今日のアイデア;
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/idea00.htm
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